27.5 x 34 センチ (全体)
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本・絹本(織物/書、絵は印刷ではなく、描かれている作品です。) 布有り
【野々村仁清】?-? 江戸時代前期の陶工。京都粟田口,尾張(愛知県)瀬戸でまなび,正保4年ごろ京都仁和寺門前に窯をひらく。金森宗和の指導のもとに唐物,瀬戸写しの茶入れなどをつくり,京焼色絵陶器を大成した。元禄7年?死去。丹波桑田郡(京都府)出身。通称は清右衛門。作品に「色絵藤花図茶壺」「色絵雉子香炉」など。
【狩野探幽】1602-1674 江戸初期の画家。鍛冶橋狩野派の祖。京都の人。名は守信。幼名、采女。別号に白蓮子・生明など。孝信の長男。永徳の孫。江戸に出て幕府御用絵師となり、桃山時代の豪壮豪麗な様式に対して、瀟洒、淡白な画風を特色とし、江戸狩野派繁栄の基礎を築いた。寛文2(1662)年,画家として最高位の法印に叙される。4年後水尾法皇寿像の制作に携わり、法皇より「筆峯大居士」の印を拝領した。
【土佐光成】1647-1710 江戸時代前期-中期の画家。土佐光起の長男。土佐光親の兄。延宝9年父の跡をついで絵所預となり,内裏,仙洞御所の絵事御用をつとめた。65歳。法名は常山。
【俵屋宗達】1570?-1640? 江戸前期の画家。能登あるいは加賀生。名は以悦、伊年・対青軒等の印章を用いた。京都の豊宗寺に住して永徳画法・古土佐骨法を会得し、光琳派の先駆となる。烏丸光広・本阿弥光悦らと交際があった。寛永20年(1643)歿と伝えられる。
★写真は全ページ掲載しております。(古裂以外全19図)
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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