村井正誠 【真作】『二人』 エッチング9/90 1977年作 モダンアート協会 (検:山口薫 矢橋六郎 山口長男 浅野弥衛 村上友晴 辰野登恵子)


【真作保証】 村井正誠『二人』 エッチング9/90 1977年作モダンアート協会 (検:山口薫 矢橋六郎 山口長男 浅野弥衛 村上友晴 辰野登恵子 )

●作家:村井正誠
●作品名:『二人』
●作品サイズ:約36.7×25.4cm
●額サイズ:約52.4×41.0cm
シートで入手後、新品額を設えました。
●技法:エッチング
●エディション:9/90
●コンディション:50年近くシート状で保管されていましたので、経年のヤケ、シミ、スレなどありますが、新品額に入れましたので、時代を感じさせ、とてもいい感じになっています。

【作者について】
日本の近代美術に抽象絵画の領域を切り開いた重要な画家の一人。
村井 正誠(むらい まさなり、明治38年(1905年)3月29日 - 平成11年(1999年)2月5日)は、明治 - 平成時代の洋画家。岐阜県大垣市出身。新宮市名誉市民。武蔵野美術大学名誉教授。閉校した文化学院および文化学院芸術専門学校(埼玉県庄和町)講師。元日本美術家連盟理事長。
抽象絵画の草分けの一人として活躍した。作品にシリーズ「URBAIN」などがある。

 村井は岐阜県に生まれ、医師だった父の仕事に従って彦根、和歌山、田辺に移り住み、1913(大正2)年からは新宮で育って、現在の和歌山県立新宮高等学校を卒業しました。その後上京して、新宮出身の西村伊作が創設した文化学院で3年間洋画を学び、フランスに渡って研究を続けます。パリで発表される最新の作品に接するとともに、ヨーロッパの各地を旅して古今の美術作品にも触れた村井は、普遍に通じる表現として抽象美術に関心をもち、1932(昭和7)年の帰国後も自らの制作について探求を重ね、幾何学的な構成の抽象絵画を発表して注目されます。その後も独自の抽象表現を展開し、色面と人の姿などを組み合わせたユニークで情感に満ちた作品を、1999(平成11)年に93歳で亡くなるまで旺盛に制作し続けました。
 村井は画家としての歩みの初期から版画の制作にも取り組んでおり、それは生涯に亘って継続されました。版画における色彩と造形の試みは、油彩画における表現とも結び付いたもので、その双方をうかがうことで、村井の芸術への理解はより深まります。

 モダンアート協会の創立者のひとりで、武蔵野美術大学名誉教授の洋画家村井正誠は2月5日午前6時58分急性心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去した。享年93。1905 (明治38)年3月29日、岐阜県大垣市に生まれる。幼少時、医師であった父の転任にしたがい、現在の和歌山県和歌山市、ついで新宮市に転居した。22(大正11)年、和歌山県立新宮中学校を卒業すると上京、父のすすめる医学校を受験するが不合格となり、また翌年には画家をこころざして東京美術学校西洋画科を受験するが、これも不合格となった。この頃、川端画学校に通いはじめ、ここで盟友となる山口薫、矢橋六郎と出会った。25年、文化学院に新設された大学部美術科の第一期生として入学、28(昭和3)年に同学院卒業と同時に、渡仏した。留学中は、滞仏中の日本人画家と交友するとともに、アンデパンダン展に出品した。32年帰国、34年に初めての個展(銀座、紀伊国屋ギャラリー)で開催、留学中の作品を出品した。また同年、長谷川三郎、山口薫、矢橋六郎等とともに新時代洋画展を結成、第1回展を開いた。同グループは、37年の自由美術家協会創立に際し、参加することで解消した。38年、文化学院の講師になる。戦後は、戦時中、活動が途絶えていた自由美術家協会の再建をはかり、また美術界の民主化などをめざして結成された日本美術会に参加した。47年には日本アヴァンギャルド美術家クラブ創立に参加し、さらに50年には、山口薫、矢橋六郎、中村真、植木茂、小松義雄、吾妻治郎、荒井龍雄とともに、モダンアート協会を結成し、以後、同協会展に発表をつづけた。同54年には武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)本科西洋画の教授になった。62年には、第5回現代日本美術展に「黒い線」(油彩)、「うしろ姿」、「人」(石版画)を出品、これにより最優秀賞を受賞、また同年の第3回東京国際版画ビエンナーレに出品した「月影」、「黒い太陽」、「風」(各石版画)によって文部大臣賞を受賞した。73年には、神奈川県立近代美術館において村井正誠展が開催され、初期作から近作までの油彩画104点などによって回顧された。その後も、和歌山県立近代美術館(1979年)、世田谷美術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(1993年)、神奈川県立近代美術館等5美術館巡回(1995年)などで、たびたび回顧展が開催された。そのほか、長年にわたる美術界への貢献に対して、97(平成5)年には、中日文化賞、世田谷区文化功労者を受賞。98年には、中村彝賞を受賞した。 仏留学時代から、同時代のマチスをおもわせる鮮やかな色面による半抽象的な構成からはじまり、次第に純粋な抽象表現に展開していった。1930年代には、「ウルバン」、「CITE」などの連作にみられるように、白地上に大小の短冊状の色面が点在する抽象表現を試みていた。戦後は、ことに50年代になると、そうした構成にくわえて、黒い帯状の線が、ときには具象的なイメージをともなって画面にあらわれるようになった。60年代には、その黒が画面全体をおおいつくすようになった。以後、再び鮮やかな色面構成にかえるが、黒の線と面は、つねに画面構成の重要な部分をしめるようになり、とくに晩年の90年代には、「東洋的」とも評されるような、独特の深さと緊張感をただよわせる作品を描いていった。近代日本の絵画史において、いち早く抽象絵画を描きはじめた画家のひとりということで、「日本における抽象絵画のパイオニア的存在」と位置付けられている村井だが、一貫して深められつづけたその「抽象」に関する造形思考は、独自のものとして評価されていくだろう。 

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