ミノルフォンレコード、他人船/連絡船でおりた町、三船和子シングルレコード


ミノルフォンレコード、他人船/連絡船でおりた町、三船和子シングルレコードです。
発売〜ミノルフォンレコード
珍しいレコード会社のレコードです、この頃から伴奏付レコードが出るようになりました。


★ミノルホンレコード歴史
レーベル名の「ミノルフォン」は当初太平レコードにするつもりだったが、同名のレーベルが既に商標登録されていたため、遠藤の名をとった「ミノルフォンレコード」としたもの[4]。この時点では、元々『タイヘイレコード』の商標を過去に使用していた日本マーキュリーがまだ残存していた。なお、太平音響は遠藤をはじめとしたタイヘイレコード→日本マーキュリーの元スタッフを少なからず採用し、日本マーキュリーから生産設備が独立したヤンマー音響にプレスを委託するなど、人的には深い関係があった。
ミノルフォンの第1号シングルは三船和子の「ベトナムの赤い月」と川田キクの「世界連邦太平音頭」(両A面)で、両面共に作詞した中山正男が社長を務める理研映画制作のドキュメンタリー映画『動乱のベトナム』公開にあわせての企画盤であった[5]
1972年(昭和47年)に徳間康快(徳間書店)に買収され徳間音楽工業と改称