戦後「鉄道郵便 国内より」封書 福山~横須賀 鉄道便消印「門司~東京間」 昭和27年
鉄道郵便局()(てつどうゆうびんきょく)とは、鉄道郵便を取り扱うためにかつて郵政省に存在した郵便局の一種である。 引受した郵便物を列車に連結した郵便車で運送、区分していた。1970年代以降、自動車、航空機による輸送に押され、1984年2月に取扱便、車内継走区分が廃止、1986年9月に護送便も廃止、廃局となった(通称59.2システムという)。その殆どは各地域区分局に吸収されたが、一部は輸送郵便局として存続したものもあった(青森西郵便局・長野東郵便局・新大阪郵便局を参照)。鉄道郵便局は特殊かつ過酷な作業環境におかれており、その鉄道局での経験と精神を称して「鉄郵魂」とも言われる。 日本の郵便局の種類の一つで、鉄道事業者に郵便車を運行させてこれに職員が乗務し、鉄道沿線の郵便局から継送される郵便物を輸送するとともに、郵便車内で郵便物をあて先地域別に区分する業務を行っていた。 明治期の日本政府においては、鉄道は近代的な交通・通信インフラの基盤として重要な位置付けがなされており、1872年(明治5年)に開通した日本最初の鉄道においても郵便輸送が行われていた[2]。また、当初は郵便物を単に輸送するのみであったが、郵便物数の増加に伴い、送達速度の向上のため1892年(明治25年)4月からは輸送中の鉄道郵便車内での郵便物のあて先地域別区分を開始した。その後、鉄道郵便取扱業務の増大から専門組織の確立が図られ、1903年(明治36年)の短期間での鉄道郵便局の設置・廃止を経て1910年(明治43年)10月以降本格的に鉄道郵便局が開設されることとなった。 以来、鉄道郵便局は日本の郵便全国配送網の根幹を成してきたが、1960年代以降、郵便サービス側が他の通信手段や民間事業者との競合から送達日数の短縮に取り組もうとする一方、鉄道事業者側では、同時期の国鉄の旅客・小荷物輸送改善策で荷物車・郵便車が普通旅客列車併結から専用列車へ移行し、停車駅の集約も進められたことから、郵便送達に適した鉄道輸送ダイヤの確保が困難となり、鉄道郵便は次第に郵便サービス側にとって使いにくいものとなっていった。このため郵政省は、郵便物の航空機積載や長距離の専用自動車便について、条件の整った区間から導入を進め、鉄道郵便は長距離の拠点間輸送にシフトしつつ郵便輸送全体に占める割合は低下していった[1]。 1984年(昭和59年)以降、郵政省は、郵便サービスの競争力強化のため郵便輸送体系全体の見直しを図り、全種別郵便物の全国翌日配達又は翌々日配達が可能な体制を構築することとした。このため郵便物の航空機積載対象の一層の拡大と併せ、鉄道郵便輸送を廃止し、自主的にダイヤ設定のできる自動車輸送主体の輸送システムに転換することとなり、1986年(昭和61年)10月までに段階的に鉄道郵便線路の廃止と地域間自動車路線の整備が実施された。これに伴い、鉄道郵便局は1986年(昭和61年)10月までに全て廃局となり、一部が輸送郵便局(地域間自動車路線の継送拠点)に移行した[1]。