2年目の星野監督の元で断行された「血の入れ替え」によって1/3以上の26人の選手を大きく入れ替えた。投手コーチ(ブルペン担当)に
西本聖を、バッテリーコーチに前広島監督
達川光男を招聘し、2軍監督であった
岡田彰布が三塁コーチとして1軍首脳陣に加わった。開幕の対横浜戦(浜スタ)こそ敗戦したが、2戦目から手堅く勝ち星を重ね、4月26日の広島戦(甲子園)で8回表終了時に6点ビハインドからその裏の攻撃で一気に9点を取り13対10で大逆転勝ちした試合から首位に立った。
しかし、4番打者
濱中治が5月20日対広島戦(甲子園)で一塁走者から牽制帰塁の際に右肩を脱臼して戦線離脱し、控え外野手であった
桧山進次郎が濱中に代わる4番打者を務める形になった。チームの勢いは衰えず、7月終了時点で2位に17.5ゲーム差の大差を付けた。
8月6日から24日までの「
死のロード」は4勝11敗と大きく負け越したが、8月27日に甲子園に帰ると7連勝して再び勢いを取り戻した
[1]。
7連勝後の9月4日対広島戦(広島市民)からは足踏み状態となったが、2位以下とのゲーム差が開いていたこともあってマジックを減らし続けた。そのまま2位以下を全く寄せ付けず、9月15日に18年ぶりのセ・リーグ優勝をぶっちぎりで飾った
[2]。優勝決定後の星野監督の第一声は「ああ、しんどかった」であった
[3][4]。
しかし、日本シリーズでは
王貞治監督率いる
ダイエーに先に王手をかけるも3勝4敗で敗れ、日本一を逃した。シーズン終了後星野監督は健康上の理由から勇退し後任には当時一軍内野守備走塁コーチだった
岡田彰布が就任した。