《特印》【樺太】 大泊稚内船航?連絡記念 樺太・豊原 【鉄道連絡船】  ※ 鉄郵 ※ はがき裏面に日の丸を記し”絵葉書”として記念押印


シミ

画像参照



稚泊連絡船(ちはくれんらくせん)は、1923年から1945年まで、日本の鉄道省により北海道稚内樺太大泊の間で運航されていた航路鉄道連絡船)である

宗谷海峡は冬になると流氷で閉ざされるため、就航船には砕氷船が使用された。厳冬期の大泊では氷上で旅客・貨物の取り扱いをすることもあった
鉄道連絡船の性格上、宗谷本線の優等列車と接続するダイヤを組み、1938年からは稚内側では列車が船に横付けできるよう、稚内駅構内扱いに稚内桟橋駅という仮乗降場が設けられていた
また、大泊側も桟橋上に大泊港駅が設けられ、樺太東線と接続していた
1923年(大正12年)5月1日:航路開設。第1船は午後9時大泊発の壱岐丸

稚内桟橋 接続駅として稚内桟橋駅が設けられた

現在、防波堤は稚内港北防波堤ドームとして保全が図られ、連絡船の業績を顕彰する稚泊航路記念碑が建てられている