□ 商品詳細 □ | | | | | | | | | | | | | | |
| 今となっては売ってないビンテージのシムス ソフトブーツを出品します。程度はとてもよく現役での使用可能だと思います。丁寧に保管していたにで加水分解やゴムの劣化も見受けられません。ベロが少し色褪せてます。 サイズは23.5から24.5でしょう。SXー1と表記されてます。この時代はバートンとシムス、MOSSくらいしか板もウエア類もなかったと記憶してます。 SIMSは当初グレイグケリーがライダーでしたね。その後BURTONに移籍しましたが。 ユキネマキ、SNOWBOARD SESSSIONS、懐かしいブランドを思い出します。 余談でしたw 参考に//https://halftime-media.com/sports-market/snowboarding-history/ |
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まだ綺麗ですが長い期間保管していたので多少の経年の劣化をご理解いただける方だけがご入札いただければと思います。
ご入金後すぐに発送しますが、仕事の都合によっては数日頂く場合がありますので、発送には余裕をお持ち下さいませ。 他にも声をかけていますので売り違いの場合はご容赦ください。 | | |
スノーボードの歴史
足に木の板やかんじきのようなものを付けて雪の上を移動する、スキーと呼ばれる行為は、紀元前1万年前から北欧や中国、ロシアなどで行なわれていました。スノーボードという種目の起源としては諸説ありますが、アメリカで起こった2つの有名な史実が起源とされています。
1963年起源説 一つ目にご紹介する説は、アメリカ・ニュージャージー州で、トム・シムス氏による「スキーボード」です。彼が13歳の時に木工の授業で、スケートボードの底に滑走用のブリキを貼り付けたオリジナルの板「スキーボード」を作ったという説です。トム・シムス氏はのちに自らも選手として活躍しながら、有名なスノーボードメーカーSIMS社を1976年に創業しました。
1965年起源説 アメリカ・ミシガン州のシャーマン・ホッペン氏が、クリスマスプレゼントとして子供用のスキーを2本のボルトで止めたおもちゃを娘にプレゼントします。サーフィンと雪そりを融合したようなもので、これを翌年、ボーリング場でよく見かけたトレードマークのBRUNSWICK社が「スキーとサーフィンのスリルを味わえる」というキャッチコピーで、「スナーファー」という名前を付けて商品化します。
名前の由来は、「スノー+サーファー」で、先が反った一枚板の先端に穴をあけ、ロープを通した形状をしていて、現在でも復刻版として製造しているメーカーがあります。座って真っ直ぐにしか進めなかった雪そりを、雪上に立って横乗りなどサーフィンのように遊べる、という概念を生み出したことで、新しいスポーツ種目、カルチャーを作り出したと言われています。
1970年代はスノーボード板の開発が進む
1960年代に起源があったスノーボードですが、1970年代は板メーカー各社が次々と現れ、しのぎを削る時代になりました。
1971年には、日本人でMOSS SNOWBOARDS創業者の田沼進三氏が試作ボードを製作します。1972年には、スノーボードブランドとしては最古と言われるWINTERSTICK社が、デミトリア・ミロビッチ氏によってアメリカ・ユタ州で生まれます。1976年にはトム・シムス氏により、アメリカ・カリフォルニア州に、SIMS SNOWBOARDS社が設立されます。そして、1977年には、スナーファーからインスピレーションを受けたジェイク・バートン氏によって、アメリカ・バーモント州でJAKE BURTON SNOWBOARD社が設立されます。
1980年代はスノーボードの大会が盛んに
1981年には、アメリカ・コロラド州スキークーパーで初のスノーボード大会が開催されました。この大会ではシムス氏は2位、バートン氏は3位に入賞しています。
日本では、1982年に日本スノーボード協会(JSBA)と日本スノーサーフィン協会が設立され、同年秋田県の協和スキー場で第一回全日本スノーボード選手権大会が開催されました。のちの1987年には日本スノーサーフィン協会はJSBAに吸収合併され、国内の活動を一元化し、毎年全日本大会が開催されるようになりました。
世界初のハーフパイプが導入されたのは、1983年開催の世界初のスノーボード選手権「WORLD SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPS」です。
そして、1989年には国際スノーボード連盟(その後世界スノーボード連盟に代替)が発足、国際的なワールドカップ大会が開催されるようになりました。1998年の長野冬季オリンピックではスノーボードが正式種目として採用されています。
ちなみに、国際級のスノーボード大会である「International World Championship」が1987年に開催された当時、競技種目は、ハーフパイプとスラロームの2種目だけでした。しかし、現在、オリンピック競技種目になっているのは5つで、フリースタイルのハーフパイプ、スロープスタイル、ビッグエアに、パラレル大回転、スノーボードクロスとなっています。
ジェイク・バートンとトム・シムス ~スノーボード創成期をリード
バートンとシムスは、選手であるとともにスノーボードギアのメーカーを設立した立役者です。80年代はレースの時代、東のレーサーであったバートンに、西のフリースタイラーのシムスが挑むという対立構図が作られました。
テリー・キッドウエル ~初のハーフパイプ世界チャンピオン、フリースタイルの父
テリー・キッドウエルは、アメリカ出身のライダーで、1983年にはシムスが開催した世界選手権で、フリースタイル競技の象徴であるハーフパイプの初代チャンピオンになりました。「フリースタイルの父」と呼ばれており、世界初のラウンドテールのシグネチャーボードを販売したり、スノーボードにメソッドエアーやグラブトリック、ハンドプラントなどのトリックを取り入れた人物です。
クレイグ・ケリー ~スノーボードの神
クレイグ・ケリーは、当初シムスに所属していましたが、1989年にバートンに電撃移籍。1986年から4年連続の世界選手権優勝、USオープンの3度の優勝など、当時破竹の勢いで大会に優勝、特にハーフパイプの大会では圧倒的な強さを誇り「スノーボードの神」と呼ばれました。特に有名な逸話は、180センチもの長い板にサポート力の弱いソフトブーツの組み合わせで、常に大会の決勝に残るという活躍だったことです。スノーボード板のシグネチャーボードを作り、売れた分だけマージンを稼ぐというシステムを作ったのもケリーでした。
テリエ・ハーコンセン ~エアの高さで世界記録保持者
テリエ・ハーコンセンは、ノルウェー出身のプロスノーボーダーです。1990年初頭に現れ、ケリーからバトンタッチされたようにハーフパイプ世界選手権で3連覇を始めとし、ヨーロッパ選手権で5回、USオープンで3回優勝、「生ける伝説」としての地位を確立しました。また、エアの高さで、9.8メートルの世界記録保持者でもあります。
スノーボード板の歴史
写真提供 = Harrison Moore / Unsplash.comスノーボードの歴史は、スノーボード板の進化とともにあるといってもよいでしょう。1960年代に生まれたスノーボードですが、1970年代はスノーボードの開発が盛んに行われてました。
WINTERSTICK社のスワローテール
当時のスノーボード板は、ほぼ四角形の木製板のテールの角にやや丸みを付けた、シンプルなものでした。
1976年にWINTERSTICK社が商品化したスノーボード板「ラウンドテール」では、ノーズを尖らせテール部分をラウンド形状にしたもので、素材もウッドからプラスチック製に変えられました。
その後、1978年にはテールが二つに割れたスワローテールを発表。底も今で言うロッカー形状で、パウダーでの浮遊性と操作性を向上させ、その画期的な形状がパウダー好きのスノーボーダーたちに受け入れられました。
現代のスノーボードにつながるBURTON社
現代でもスノーボード界をリードするブランドであるBURTON社は、スナーファーから始まりました。
1979年当時のBURTONの板はスナーファーそのもので、ノーズもテールも先は尖り、先端からのロープには操作性向上のためのハンドルが付いています。また、足が滑らないようにゴム製のパッドを付け、現代でのビンディングにあたるような足を固定するパーツも付けています。1981年以降のモデルでは、板の中央からテール付近の左右にアルミ製のエッジフィンを取り付け、前足固定、後ろ足は固定またはリリースがしやすいようになっています。
スノーボードの創成期に関わった日本のMOSS社
一方、スナーファーとは全く起源を異にする日本人の田沼信三氏は、1971年にサーフボードのウレタンフォームとグラスファイバーを使用した試作ボードを製作します。田沼氏はサーフボードの主流がロングからショートに変わってきた時期に、雪山にボードを持ち込み、いかに雪山の自然の中で豊かで楽しい体験ができるか、に情熱を注ぎました。試作ボードにはフィンとエッジが付いており、ビンディングはないものでした。田沼氏はMOSS SNOWBOARD(現・パイオニアモス社)を創業し、さらに開発を進めます。
1977年に商品化された「SNOW SURFIN」には、雪の上で、まるでサーフィンのような動きができるよう、クロスカントリー用のスキーのビンディングを設置し、テールにはターンしやすいようなスリットを設けています。
そして、1979年には世界初の固定式ビンディングを設置した「MOSS SNOWSTICK」が販売されました。この頃はまだ、スノーボードようのソフトブーツはなく、スキー用のハードブーツを使う商品でした。
さらに1983年に発売されたV1は、先端が尖ったディレクショナルとショートテールの形状で、取り回しがよく小回りが利く形をしており、後にU4として復刻しています。
1984年のV2には、すでにパラレルスライドレールによってスタンス幅と角度を調整するアイディアが設けられています。まさに先を歩み形状を試行錯誤した結果に、時代が追いついてきている感があります。