新修 亀岡市史 第2巻 中世 近世◆明智光秀 丹波亀山城 足利尊氏 細川氏 戦国時代 江戸時代 亀山藩 京都 亀岡市 丹波 郷土史 歴史 文化 資料


●発行:2004年、亀岡市史編さん委員会 972, 63p
●内容:目次)
第一章 動乱の丹波
第一節 南北朝の戦乱と足利尊氏/ 二
動乱前夜の亀岡地域/ 二
北条氏打倒へのうねり 足利高氏の登場 足利高氏の挙兵 足利高氏願文 参集した丹波の武士たち 鎌倉幕府滅亡
建武新政と亀岡地域/ 一二
後醍醐天皇と建武新政 室町幕府の創設 足利尊氏御判御教書
南北朝動乱と亀岡地域/ 一七
対立する武士たち 観応の擾乱 分裂する武士たち 足利尊氏の人となり 足利尊氏と丹波
文書にみる合戦の様相/ 二六
合戦をめぐる文書 軍勢催促状 着到状 軍忠状 感状
第二節 細川氏の領国支配と国人/ 三三
明徳の乱と将軍専制/ 三三
細川氏と丹波国守護 薄氷を履む時節
丹波国の守護代と国人/ 三六
右京大夫と内衆 小笠原成明 細川遠江と上野殿 香西常建と元資 内藤信承・之貞・元貞 上原元秀 丹波の国人たち
政争と徳政/ 四六
嘉吉の変 土一揆と徳政令 応仁・文明の乱
延徳の丹波国一揆/ 五二
細川政元拉致事件 京兆専制と内衆の抗争 国一揆前夜 丹波国[ソウ]劇
第三節 戦国争乱と丹波の武士/ 六四
細川家の対立と丹波/ 六四
明応の政変と上原元秀 細川政元の丹波支配 細川高国の台頭 国衆武士の登場 高国と丹波衆との離間 柳本賢治の活躍 細川晴国と丹波 波多野秀忠による丹波領国化
三好政権と内藤・波多野氏/ 八四
三好長慶による丹波経略 内藤宗勝(松永長頼)の介入 戦国最末期の丹波 戦国時代丹波の歴史的位置
第二章 中世後期の宗教と文化
第一節 中世後期の荘園と村落/ 九六
荘園公領支配の衰退と崩壊/ 九六
借物と借銭 違乱と押領
中世後期の荘園所領/ 一〇〇
禁裏御料所上村荘 中原家領隼人保 吉田社領石田荘 松尾社領桑田荘(桑田神戸田・小川神戸田)醍醐寺三宝院領篠村荘 醍醐寺三宝院領佐伯荘 天竜寺領瓦屋荘 等持寺大仏師領国分寺(荘)宝鏡寺領矢田荘(八田荘)
賦課と権益をめぐる闘い/ 一一三
川関と木材筏 山野・用水をめぐる闘い
在地勢力の成長と中世村落/ 一一八
非法と逃散 惣と村落 村落共同体と宮座
第二節 丹波猿楽の盛衰/ 一二五
国の猿楽者たち/ 一二五
丹波猿楽の胎動 丹波の諸猿楽
被差別民と芸能/ 一三一
祝言の芸能 声聞師の猿楽への進出 「丹州の庭掃」
矢田猿楽の演能活動/ 一三七
矢田猿楽と伏見御香宮 御香宮楽頭を離れて 戦国時代の矢田猿楽
第三節 禅宗の展開と丹波の仏教/ 一五〇
中世後期の天台・真言宗/ 一五〇
顕密仏教の動向 穴太寺と朝廷・幕府 神尾山金輪寺と高山寺 中世後期の金輪寺 中原康富と在地寺庵 愛宕山と寺院
五山禅宗の台頭と丹波/ 一五八
天竜寺の造営と五山 丹波と禅宗 五山領荘園の広がり 五山派末寺の展開
妙心寺派の展開/ 一七一
細川氏と妙心寺派 妙心寺の禅僧と竜潭寺 妙心寺派末寺の展開 中世末の諸宗派の展開
第四節 中世後期の美術と建築/ 一八四
室町時代の絵画/ 一八四
仏画 肖像画
室町時代の彫刻/ 一九〇
仏像 肖像彫刻 獅子・狛犬 石造彫刻
室町時代の工芸/ 一九九
金工品 石造品
室町時代の寺社建築/ 二〇二
足利氏と篠村八幡宮 出雲大神宮本殿 禅宗寺院の建築 大工の知行地と丹波国工 村むらの神社
第三章 近世の黎明
第一節 明智光秀の丹波統一/ 二二二
明智光秀の出自と台頭/ 二二二
義昭・信長との出会い 畿内での活躍 近江坂本城主
黒井城・八上城の攻防/ 二二六
光秀以前の丹波 丹波攻略命令 黒井城の敗戦 亀山築城 丹波経略の再開 荒木村重の反乱 八上城落城 中世丹波の終わり
本能寺の変と丹波武士/ 二四八
光秀の丹波支配 本能寺の変 山崎合戦と光秀の死 本能寺の変の背景 丹波の近世化と光秀
第二節 初期領主の時代と亀山城の築城/ 二六一
豊臣政権下の亀山/ 二六一
天下人への道 秀吉と亀山 初期領主の変遷 江戸幕府開設と亀山藩の成立
亀山城の築城と整備/ 二六六
明智光秀による築城 丹波攻略・本能寺の変と亀山城 光秀死後の亀山城整備と天下普請 絵図から見た亀山城
明治維新と亀山城/ 二八〇
亀山城の荒廃 古写真からみた亀山城 亀山城の破却処分と鯱瓦の売却
第三節 近世亀山城の天守と城の構造/ 二八八
亀山城の天守/ 二八八
天守の規模と形式 全国初の層塔型天守
亀山城の構造/ 二九七
城の形式と縄張の概要 本丸 西の丸・二の丸 三の丸 総構 亀山城の特色
第四節 近世郷村の成立と構造/ 三一三
近世郷村の成立/ 三一三
丹波の太閤検地 亀岡地域の郷村
中世的遺制としての郷と近世村/ 三一七
現代に残る郷 南山入会と近世村 錯綜する郷
近世村の特徴と景観/ 三二六
村高の変遷 村の豊かさ 集落の構成と変遷 一村一集落の土ヶ畑村 一村多集落の美濃田村
第四章 近世の領主支配と亀山藩
第一節 亀山藩の成立と支配/ 三四二
幕藩体制の確立と亀山藩の成立/ 三四二
江戸幕府の成立と亀山藩 亀山藩の政治的位置 藩主の移封と城引継
亀山藩の歴代藩主/ 三四八
歴代藩主 岡部氏 大給松平氏 菅沼氏 藤井松平氏 久世氏 井上氏 青山氏 形原松平氏
幕政における亀山藩の役割/ 三六二
幕府要職 参勤交代 江戸在勤中の責務 藩の責務 諸使節の対応
藩政組織/ 三六九
亀山藩の職制 領地と組制 氷上郡の飛地支配 備中国の飛地支配
亀山藩の民政/ 三八二
法の執行 農産業 灌漑用水 治水対策 城下町と防火対策 藩と寺社
第二節 入組支配と旗本/ 三九四
幕府の領主配置策/ 三九四
近世初頭における領主配置 初期亀山藩領 園部藩領 篠山藩領 高槻藩領 仙洞御料 旗本知行地
旗本の支配/ 四〇七
武田氏の支配 津田氏の支配 杉浦氏の支配 村上氏の支配 能勢氏の支配 相給の村
第三節 亀山藩の学校と学問/ 四二五
形原松平氏の入封と学制整備/ 四二五
旧亀岡藩学制沿革取調書 松平信庸と松崎祐之 幕政への学問的貢献 松平信岑による学制整備と皆川淇園 『史徴』の上梓
藩政改革と藩学制の再建/ 四三二
士風減退と正学派朱子学の提唱 邁訓堂と藩士子弟教育 藩士子弟の学校生活 幕末における藩校の変化 亀山藩における藩校と学問の変遷
第五章 城下町と村の構造
第一節 亀山城下の町と村/ 四四四
城下町のすがた/ 四四四
旅人の見た亀山城下町 城下の町と村 武家地・寺社地・町人地 内町と外町 城下の村のようす
城下の人びと/ 四五四
城下の戸口と町役 城下の人びとの仕事 大店と小商い
城下の暮らし/ 四六二
町政のしくみ 町の暮らし 城下の歳時記 新しい時代へ
第二節 村の構成と運営/ 四七三
村役人と村人/ 四七三
村役人の配置 庄屋の就任 庄屋の給米 さまざまな村役人 庄屋年行司 長百姓・小百姓
村と地方支配/ 四八九
亀山藩の郡方支配 村の定 五人組と宗旨改
年貢の徴収/ 四九七
本途物成 小物成
村の文書/ 五〇一
引継ぎ文書 文書の保管
被差別の村と人びと/ 五〇七
村の成り立ち 本村のなかの集落 新たに成立した集落 差別と賤称の推移 「嶋」と草場 村を支える人びと
第三節 弓射連中・宮座・株と祭礼/ 五一八
弓射連中/ 五一八
山陰道鎮撫使 弓射連中の発足と地侍 弓射連中の規模 誘引・席順 弓会の概要 領主側の対応 申合せ・議定録
宮座・株と祭礼/ 五三七
宮座と「苗」 宮座の組織と神祭事 座礼のかたち 宮の当 祭礼のいろいろ
第四節 入会山と山論/ 五五五
入会山の利用と管理/ 五五五
さまざまな山林 山林の利用 入会山の管理
多発する山論/ 五六二
諸地域の山論 村むらの結合と対立 連鎖する山論 山論を支えたもの
山論と村内階層・身分/ 五七二
山論入用と村方騒動 保津山山論
第五節 水利・水論と新田開発/ 五八〇
水利・水論/ 五八〇
近世の水利・水論 寅天井組七ヵ村内争論 用水の分水 寅天井組七ヵ村と対岸村むらとの水論 大堰川上流の井堰における争論 溜め池の利用 さまざまな水や川の用益 七谷川筋の争論
新田開発/ 五九七
近世の新田 今津新田 大芝原新田 樋之嶋新田 寺村奥山新田
第六章 村落のなりわい
第一節 農村の生活/ 六〇六
村に住まう人びと/ 六〇六
亀岡地域の村むら さまざまな生業 家のかたち 行き交う人びと
村落生活の諸相/ 六一七
家財と道具 倹約定にみる暮らし 豊かさの裏に
暮らしの中の旅/ 六二六
江戸時代の旅 さまざまな旅 お伊勢参り 参宮旅行の実相
近世の村の住いと住い方/ 六三五
掘建てから石場建てへ 屋内の暮らしぶり 摂丹型の妻入屋 破風をめぐる争い
第二節 諸産業の展開/ 六四六
商品作物の進展/ 六四六
農業技術の発展と生産活動 商品作物の栽培 菜種の栽培と油絞り
地域産業/ 六五三
亀岡地域の酒造 大石家の酒造 桑田郡の寒天製造 亀岡地域の砥石産業 亀岡地域の鋳物業 鋳物師仲間 鋳物師仲間配下の鋳掛職人 亀岡地域の御用炭
第三節 街道と往来/ 六六六
山陰道/ 六六六
街道筋の景観 亀山城下の街道と五口 丹波路最初の宿駅
なりわいの道/ 六七五
街道筋の馬持・荷問屋 山あいの運送 巡礼道と城下の旅篭
祈りとレクリエーションの道/ 六八〇
亀山の人びとと旅 愛宕山越から穴太寺・善峰寺へ 愛宕道 妙見道
伊能忠敬測量の道/ 六九二
伊能測量隊亀山に来る 測量隊亀山本陣に止宿
第四節 保津川の水運/ 六九八
近世保津川水運の始まり/ 六九八
秀吉の朱印状 角倉了以保津川を開く
丹波材の筏流し/ 七〇三
亀山運上所 山方と筏問屋 筏指子の活躍台頭
船運の開始/ 七一六
高瀬船の保津川船運 保津浜の船着場 船荷・運賃
第七章 文化の広がり
第一節 近世の寺院と神社/ 七二六
近世寺社の成立/ 七二六
近世寺社の概観 寺院の宗派と末寺 近世寺社の成立
亀山藩の寺社政策/ 七三六
藩主と寺社 朱印地・黒印地・除地 宗門人別と寺檀制 キリシタン禁制 日奥と日蓮宗不受不施派
地域社会の中の寺院・神社/ 七四七
寺社の機能 寺社の学問文化 霊場寺院 開帳 地域霊場 廻国する宗教者
丹波国と吉田家/ 七六一
神社・神職・氏子 丹波国社法取締役の成立 諸社の対応 主基田
第二節 学問と思想の展開/ 七六九
前期国学と諸学/ 七六九
安藤家の人びと 安藤兄弟と水戸彰考館 亀山ゆかりの学者たち
石田梅岩と石門心学/ 七七七
梅岩の生い立ち 石門心学の提唱 石門心学の思想 梅岩その後
近世後期の思想潮流/ 七九〇
皆川淇園とその門流 藩儒と在郷の学問 幕末の文人志士
第三節 教育と文化の普及/ 八〇一
石門心学の普及/ 八〇一
亀岡地域への心学者の来訪 東掛村での心学の普及 亀山藩と心学 心学者の亀岡地域での活躍 石門心学者の梅岩生地への訪問
俳諧文化の発展/ 八一一
京都の俳諧文化と亀岡地域の俳人たち 俳諧ネットワークの成立 村の俳諧師匠たち
教育の普及と文人の成立/ 八一九
寺子屋と庶民教育 書物の流通と蔵書の形成 書物の普及と地方文人の成立 娯楽の普及と書物 武家文化の庶民への普及 文化をめぐる新しい動き
第四節 紀行と地誌/ 八三二
名所と紀行/ 八三二
幕府の地誌編纂と丹波 亀山への紀行 保津川 丹波国大絵図 他国への紀行 名所と紀行
地誌の編纂/ 八四四
篠山封彊志 俳諧盥魚 太邇波記 丹波志 丹波志の類書 矢部朴斎の地誌編纂 桑下漫録 域認識・歴史意識の高揚
第五節 民家建築と近世絵画/ 八六四
集落景観と民家のかたち/ 八六四
亀岡地域の近世民家 集落景観と農家の外観 農家の間取りと構造 亀山城下町の町並と町家 史料にみる民家と普請
近世画壇と亀岡地域/ 八七九
狩野派と江戸前期の画派 円山応挙 円山四条派 亀岡の画人雪峨と枝山
第八章 近代への胎動
第一節 領主支配の展開/ 八九六
形原松平氏の亀山藩入部/ 八九六
領内の組分け 銀納の制と訴訟箱 家中への制法
藩政の諸改革/ 九〇〇
『議定書』の制定 寛政二年の触書 備荒貯蓄と撫育銀 文化・文政の改革 鎌谷東股村の再興 村掟・倹約定 財政再建政策
諸藩と旗本知行地の改革/ 九二〇
諸藩領の農村 武田氏と杉浦氏 津田氏と相給地
第二節 天明の騒動と災害/ 九二九
天明の打ちこわし/ 九二九
社会の変動 天明の飢饉 天明七年の打ちこわし 騒動鎮圧とその結末 村むらと農民の動き
天保の飢饉と災害/ 九四三
天保の内憂 犬甘野村飢饉録 亀山大変と世情不安
第三節 幕末の政治・社会変動と亀岡地域/ 九五一
幕末政局と亀山藩/ 九五一
高騰する諸物価 志士奥平小太郎 藩主松平信義の老中就任 藩政改革運動 京都の警衛 禁門の変 新藩主松平信正と藩政 幕長戦争から王政復古へ
幕末社会と亀岡地域の人びと/ 九六四
亀山藩の借財 文久二年の倹約令にみる村の暮らし 助郷に苦しむ村 冥加金を上納する農民 江戸へ出張する村人 禁門の変と馬路郷士

〔付図〕
1 近世の寺社と街道
2 大堰川筋絵図
丹波国世木ヨリ保津迄大井川筋絵図
丹波国保津ヨリ山城国嵯峨迄大井川筋絵図
3 南野山惣絵図
4 大井川筋立合芝原絵図

●状態:
若干の経年劣化がありますが、線引き、書き込み、切抜き、隅折れ、破損、汚れ、ページ割れ、たばこ臭・ペット臭はありません。