広瀬栄一コレクション拓本9-54出土瓦●昭和39年 群馬大学研究室瓦 16枚 太田市、総社町 250222 古文書考古学石碑


茨城県石岡市高浜にある広瀬酒造の元社長で考古学者の広瀬栄一氏が昭和中期に収集された拓本類を追加案内致します。
山王廃寺跡(さんのうはいじあと)は、群馬県前橋市総社町総社にある古代寺院跡。国の史跡に指定され、塔心柱根巻石・出土緑釉陶器は国の重要文化財に指定されている。
群馬県中央部の榛名山南東麓を流れる八幡川と牛池川に挟まれた微高地上に位置する[1]。西側約600メートルに関越自動車道が、南側に国道17号が、東側にJR東日本上越線と八幡川を挟んで吉岡バイパス(産業道路)が走る[1]。同廃寺跡の調査は大正時代に塔心礎が偶然発見されたことに始まり、その後の調査で、上毛地域では最古の、関東地方でも最初期の古代寺院跡であることが明らかとなった[2]
1974年(昭和49年)から1981年(昭和56年)まで発掘調査が行われ、2006年(平成18年)から2010年(平成22年)には寺域を確認するための山王廃寺範囲内容確認調査が行われた[1]。発掘調査で「放光寺」・「方光」と書かれた瓦が見つかったことで、古文献などに記された「放光寺」であることが判明している[1][3]
1928年(昭和3年)2月7日に「山王塔阯」の名称で国の史跡に指定され[4]2008年(平成20年)3月28日には指定範囲を追加のうえ、指定名称が「山王廃寺跡」に変更された[5][6]。他に、同廃寺跡から出土した塔心柱根巻石、緑釉陶器塑像片などが国の重要文化財や群馬県指定重要文化財に指定されている[6][3][7]。出典:ウィキペディア
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てればそして、故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。
写真にあるスケールは全長17㎝です。
状態は経年によるシミヤケがあります。
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