EP ケイト・ブッシュ/ローリン・ザ・ボール KATE BUSH 7インチシングル 東芝EMI


ケイト・ブッシュ
KATE BUSH
ローリン・ザ・ボール 
EP
7インチシングル 
東芝EMI
1978年5月リリース



SIDE:A
Them Heavy People (ローリン・ザ・ボール)

SIDE:B
The Man With The Child In His Eyes (少年の瞳を持った男)

1978年リリース

EMI EMR-20490

Art Rock, Pop Rock



A面「ローリン・ザ・ボール」 
B面「少年の瞳を持った男」

全英No. 1シングル「The Man With The Child In His Eyes(邦題: 少年の瞳を持った男)」収録。


◆16歳の時にピンク・フロイドのデイヴィッド・ギルモアに見出され、1978年に19歳という若さでドラマチックなデビューを果たして以降、現在までに10枚のスタジオ・アルバムを発表、その全ての作品で独自の世界観を展開し、全世界から圧倒的なリスペクトを受ける女性アーティスト、ケイト・ブッシュ。
英国メディアからは「ロック史上誰よりも大きな影響を与えてきた女性アーティスト」として評され、その長年の功績をたたえ、2013年には大英帝国勲章も受賞する、まさに「音楽史の宝」という名にふさわしい、圧倒的存在感を持つアーティストだ。



幻想的な世界観で世界を驚かせた「ケイト・ブッシュ」のThem Heavy People (ローリン・ザ・ボール)はレゲエ調の曲。

なんとも不思議な曲なのだが、自由にリズムにのって歌えるというケイトにしては珍しい作品。

そして、”Rolling the ball, rolling the ball, rolling the ball to me” というブリッジの後につながるヴァース2ではかっこいいスライド ギターが入る。

この曲はいわゆる精神世界をテーマに扱っている。

「心の部屋に隠れる」「人は誰しもが心の中に天国を持っている」という歌詞や「水晶なんて必要ないし、魔法の杖なんかに騙されちゃダメよ/私たち人類はすべて持っているもの/奇跡は起こせるのよ」という歌詞からも自分の内側から湧いてくる気持ちや自由な心の在り方などを歌っている。

ケイト・ブッシュ自身この曲は実家で座っている時に”Rolling the ball”というフレーズが浮かんできて、すぐさまピアノでコードを弾いたという。

まさに彼女自身が突然内側から出てくるという経験をしたのだ。

また彼女はこの曲について以下のように語っている。

It has lots of different people and ideas and things like that in it, and they came to me amazingly easily it was a bit like “Oh England”, because in a way so much of it was what was happening at home at the time.

My brother and my father were very much involved in talking about Gurdjieff and whirling Dervishes, and I was really getting into it, too. It was just like plucking out a bit of that and putting it into something that rhymed. And it happened so easily in a way, too easily.

(…)

I thought it was important not to be narrow-minded just because we talked about Gurdjieff. I knew that I didn’t mean his system was the only way, and that was why it was important to include whirling Dervishes and Jesus, because they are strong, too. Anyway, in the long run, although somebody might be into all of them, it’s really you that does it they’re just the vehicle to get you there.

この曲にはさまざまな人やアイデアが詰まっていて、驚くほど簡単に浮かんできました。まるで “Oh England My Lionheart”(ケイトの楽曲)のように、当時家で起こっていたことの多くが反映されているような感じでした。

兄と父はグルジエフやダルヴィッシュ(スーフィー)の舞踏についてよく話していて、私もそれに夢中になっていました。それを取り入れて何かリズムに乗ったものにするのは簡単なことでした、簡単すぎるほどにね。

(中略)

グルジエフについて話していたからといって、偏狭にならないことが重要だと思いました。彼のやり方が唯一の方法だとは思っていませんでしたし、だからこそ、ダルヴィッシュの舞踏やイエスを取り入れることが重要でした。結局のところ、誰かがそれらすべてに夢中になったとしても、本当に大切なのは自分自身なのであって、ただそこに至るための手段に過ぎないのです。

KATE BUSH CLUB NEWSLETTER NUMBER 3, NOVEMBER 1979


日本では「ローリング・ザ・ボール」という邦題が付けられており、当時セイコーの腕時計のテレビCMに使用され、ケイト自身も出演している。

テレビCMでは「誰もがもうひとりの自分を隠しているの。それを探すのは素敵なこと」と語っている。



B面のThe Man With The Child In His Eyes (少年の瞳を持った男)は、落ち着いたピアノとケイトの柔らかい歌声で始まる。

若い女性と年上の男性との関係を描いていおり、タイトルにある「少年の瞳を持った男」を表現するかのようにピアノとストリングスの優しいタッチで演奏される。

複雑に音を入れている楽曲が多い一方で、この曲はピアノとオーケストラによるストリングスとシンプルな構成になっている。

子供の無垢なこころや感性を表しているようにも聞こえる、そんな楽曲になっている。


ちなみにシングル盤だと冒頭に”He’s Here”とささやいているのが聞こえる。


夢の中でとある男の声を無意識に聞いてしまう。

会ったこともない彼は海のことや永遠に続く愛の話をするという。

難解な詩が続くのだが、おそらくすでに会ったことのある男が年老いた姿で夢に登場し語りかけてくるということだと思う。(会ったこともないというのは姿が別人だからか?)

そしてその男の瞳には少年の頃と同じ輝きを持っているというという。

瞳の内側(心の内側)には少年時代の遊び心を忘れていないという意味も持ち合わせているのだろう。

ケイト・ブッシュ自身はこう語っている

I wrote that when I was 16. I’ve got two older brothers and have always been in the company of older men. They seem to have so much fun and are able to laugh at themselves. I love that. It’s a song expressing that most men are really children at heart.

この曲は私が16歳のときに書きました。

私には兄が2人いて、いつも年上の男性と一緒にいたんです。

彼らはとても楽しそうで、自分たちを笑い飛ばせるところが大好きなんです。

この曲は、ほとんどの男性は心の中では本当に子供であるということを表現しているんですよ。

1979, Liverpool Echo





Kate Bush

Kate Bush (ケイト・ブッシュ ) プロフィール


デビュー当時、ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアに見出された天才少女歌手として脚光を浴びたケイト・ブッシュ。
19歳のその歌声は秀逸な当時の日本盤タイトル『天使と小悪魔』が象徴しているような恐るべき質感をもってロック・リスナーの前に現れた。それまでの女性アーティストの常識から逸脱するかのような、聴き手を驚かせる圧倒的な感性を垣間見せるケイト・ブッシュの歌声は正に衝撃的という形容が似合うものだった。

ケイト・ブッシュ(本名:キャサリン・ブッシュ)は1958年7月30日に英ケントのベックレイヒースに生まれた。父親ロバートは医者、母親ハンナは元ダンサー。ブッシュ家は裕福な家庭に属し、その長女ケイト・ブッシュはそうした環境の中育っていく。またそうした意識の高い家柄に生まれたことも影響してか、ケイト・ブッシュは幼い頃に菜食主義者となった。ケイト・ブッシュが音楽に興味を持ち始めたのは1968年頃のこと。一年間のオーストラリア移住から英国に戻ったケイト・ブッシュは、その頃から父ロバートに就いてピアノを習い始める。またグラマー・スクールに通う頃になると、ケイトは多くの詩を書き始め、同時にヴァイオリンや聖歌隊のレッスンにも励み、自らの芸術的な感性を磨いていった。1971年には学校の音楽の授業で出た作曲の課題がきっかけとなり、自らの作曲活動を本格的に開始する。まもなく14歳になるとピアノを弾きながら自作の歌を歌うようになった。

1974年、音楽の道に本格的に進むことを決意したケイト・ブッシュは、学校を中退し、ビリー・ホリデイやジョニ・ミッチェルなど自分のアイドルに憧れながら音楽作りに専念。1975年には兄パディ達とともにバンドを結成し、パブにも出演するようになった。この直後にケイト・ブッシュにとってプロになるチャンスが早くも巡ってくる。ケイト・ブッシュの才能を高く評価していた兄パディが、友人のリッキー・フーパーの協力で、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアを家に招き、ケイト・ブッシュの歌を直接聴かせるという作戦に出たのだった。結局16歳でデヴィッド・ギルモアにスカウトされたケイト・ブッシュは、彼の監修で15曲のデモテープを制作。後にケイト・ブッシュのプロデューサーとなるアンドリュー・パウエルの尽力もあって、このデモテープはEMIへ送られ、1975年にケイト・ブッシュはEMIとアーティスト契約を交わした。

1976年、ロンドン郊外のフラットに移り住んだケイト・ブッシュは、アダム・デューリアスによるマイムを教えるクラスへ入り、更にはリンゼイ・ケンプのもとに弟子入り。デビューの準備期間ともいえるこの時期をケイトは約1年に渡って過ごし、1977年に満を持してアーティストとして初の本格的なレコーディングに入った。

1977年11月、エミリー・ブロンテの名作で映画としてもヒットした小説「嵐が丘」をモチーフにしたシングル“嵐が丘(Wuthering Heights)”でデビュー。これがいきなり全英4週連続一位を記録、またその曲を収録したデビュー・アルバム 『天使と悪魔』(Kick Inside)も40万枚というセールスとなり、一躍ケイト・ブッシュ は天才少女として大きな注目を集めた。



その後1978年に2ndアルバム 「ライオン・ハート」 、1980年に3rdアルバム 「魔物語」(Never For Ever)、1982年に「ドリーミング」 、1985年に『愛のかたち』(Hounds Of Love)と作品を発表していき、1986年には初のベスト・アルバム 『ケイト・ブッシュ・ストーリー』(Whole Story)を発表。またこの間にはピーター・ガブリエルやロイ・ハーパーなど英国の奇才ミュージシャン達との交流もあった。ベスト盤という区切りの後に彼女の新章を告げた作品が1989年発表の 「センシュアル・ワールド」 。ここでケイト・ブッシュはブルガリアン・ヴォイスの一員だった女性アンカ・ラプキーナ率いるトリオ・ブルガルカと共演。『ボックス・セット』の発売やエルトン・ジョンのトリビュート盤 『トゥー・ルームス~エルトン・ソングス』への参加を経て、次の彼女自身のオリジナル・アルバム『レッド・シューズ』が発表されたのが1993年のこと。これは童話「赤い靴」をモチーフにしたというアルバムで、ジェフ・ベックやエリック・クラプトン、プリンスなどが参加した話題作だった。アルバムは全英2位と好セールスを記録し、シングル・カットされた曲もそれぞれヒットした。しかし、このアルバム以降のケイト・ブッシュはトリビュート作やチャリティ・アルバムへの参加、他アーティストの作品へのゲスト参加などはあるが、これ以降自身の作品をリリースすることなく90年代を終えた。







またこれらのオリジナル・アルバム以外ではモンティ・パイソンのメンバーであるテリー・ギリアム監督の名を知らしめたカルトSF映画『未来世紀ブラジル』でケイト・ブッシュの歌声を聴くことが出来る。

“嵐が丘”での天から降ってわいたような至上の高音域ヴォイスやエクセントリシティ、イギリス~アイルランド中世の深い森や妖精をもイメージさせるケイト・ブッシュの自然体のきらめくような奔放な歌表現の味わい。こうした感触は無論ケイト・ブッシュ自身にしかないもの、と断言しても過言ではないだろう固有性を持つ。彼女の直系としてのフォロワー的なシンガーを挙げるとすれば筆頭に挙げられるのは、トーリ・エイモスだろうか。トーリがイギリスで特に人気の高いシンガーであるという点も特筆すべきところ。時に情念的な歌を聴かせるトーリにはジョニ・ミッチェルの影響も強いのだろうが、ケイト・ブッシュやジョニ・ミッチェルのようなどこか孤高の佇まいを感じさせる毅然とした表現には通じるものが多くある。更にもっとポピュラリティを得ている例をあえて挙げるなら、重厚なアーティスト性とエキセントリシティという共通項を持ったビョークにも近いものがあると言えそうだ。






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