「源氏物語」手習の巻・僧都の妹の尼君が女(浮舟・桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君)を介抱する・大炊御門宗氏・自筆・解読文・7A


令和6年から「源氏物語」の作者・紫式部をモデルにしたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されております。

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「手習(てならい)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。

原文は「源氏物語・手習の巻」として美しく描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。 大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。


 出品した「源氏物語」は手習(てならい)の内容の要旨
「手習の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第53帖。今上天皇の皇子・匂宮と光源氏の君と女三の宮の皇子薫の君の二人の恋の板挟みにくるしんだ浮舟(桐壺帝の皇子・八の宮の姫君)は、追い詰められて宇治川に身投げをはかるが宇治川沿いの大木の根元で倒れていた。たまたま通りかかった比叡山の高僧・横川の僧都一行に発見されて救われる。僧都の妹の尼君は数年前に娘を亡くしたばかりであり、浮舟を初瀬観音からの授かりものと喜び、実の娘のように手厚く看護した。だが、浮舟の世話する妹尼たちの前ではかたくなに心を閉ざし、身の上も語らず、物思いに沈んでは手習にしたためて日を過ごした。だが、浮舟の出家の意思は固く僧都に懇願して出家してしまう。尼になった浮舟はようやく心が安らぎを得た思いでいる。翌春、浮舟生存の知らせが明石の中宮から中宮に仕える小宰相の君を経て薫に伝わった。薫は(匂宮が隠しているのでは)と疑うが、小宰相から「その心配はいりません」と中宮が、「宮のした事を思うと私の口からは言えない」と気に病んでいた事を打ち明けられ、横川行きを後押しされた。 薫は事実を確かめに、浮舟の異父弟・小君を伴い横川の僧都を訪ねる。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

原本自筆上部に手習(てならい)」には、「假色迷人猶若是」(仮の色、人を迷わす、なおかくのごとし)という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「狐という仮の物が本物のように人を惑わせる。しかし、本当の美女(楊貴妃)が人を魅了するのは、往々にしてそれを超える」のです。「源氏物語」手習の巻の原文中には、「狐の人に変化(へんけ)するとは昔より聞けと、まだ見ぬものなり」とあります。紫式部の「昔より聞けど」は白楽天の漢詩文に依拠しております。紫式部が「手習」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明欄に記載

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」手習(てならい)の巻》
《自筆上部の「手習(てならい)」には、「假色迷人猶若是」(仮の色、人を迷わす、なおかくのごとし)という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「狐という仮の物が本物のように人を惑わせる。しかし、本当の美女(楊貴妃)が人を魅了するのは、往々にしてそれを超える」のです。この漢文は白楽天の漢詩の有名な一節です。

「額縁入自筆原本」

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」

自筆右下四つの印のうち上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部の「假色迷人猶若是」(仮の色、人を迷わす、なおかくのごとし)という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「狐という仮の物が本物のように人を惑わせる。しかし、本当の美女(楊貴妃)が人を魅了するのは、往々にしてそれを超える」のです。この漢文は白楽天の漢詩の有名な漢詩一節です。


《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《「源氏物語」手習(てならい)の巻》
原文には「假色迷人猶若是」(仮の色、人を迷わす、なおかくのごとし)という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「狐という仮の物が本物のように人を惑わせる。しかし、本当の美女(楊貴妃)が人を魅了するのは、往々にしてそれを超える」のです。この漢文は白楽天の有名な漢詩の一節です。

《こ(御)たちを出して》・・・・・いた(抱)きい(入)れさす。
いかなりつらんとも、ありさまみ(見)ぬ人はおそろしからて
いた(抱)きい(入)れつ。い(生)けるやうにもあらて、
さすかにめ(目)をほのかにみ(見)あけたるに、「物のたま(宣)へや。
いかなる人かかくてはものし給へる」といへと、
ものおほ(覚)えぬさまなり。ゆ(湯)とりて、手つからすくひ入なとするに、
たゝよはりにた(絶)え入やうなりけれは、「中々いみしきわさかな」
とて、「この人なく成ぬへし。かち(加持)し給へ」
とけん(験)さ(者)のあさりにいふ。「されはこそ。あやしき御もの
あつかひなり」とはいへと、神なとの御ために経よ(読)みつゝいの(祈)る。
僧都もさしのそきて、「いかに・・・・《そ。なに(何)のしわさ(仕業)そ》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《「源氏物語」手習(てならい)の巻》
《僧都の妹の尼君が女(浮舟・桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君)を介抱する》

《じつに若々しくかわいらしい女の、白い綾(あや)の衣一襲(ひとかさね)を
着て紅(くれない)の袴(はかま)を着けているのが、
たきしめた香はたいそういいにおいをただよわせて、
どこまでも気品の高い様子である。尼君は、
(僧都の妹の尼君)「まるでこの私の悲しく恋いしのんでいる娘が、
生き返ってこられたのでしょう」
と言って、泣く泣く年配の女房たちを呼んで、》・・・・奥に抱き入れさせる。
この女(ひと・浮舟)がどんなふうにして見いだされたのか、そのときの
様子を知らない女房は、怖がりもせずに抱きかかえて運び入れた。
生きているとも見えず、それでもかすかに目を開けているので、
(僧都の妹の尼君)「なんぞおっしゃい。
どういう御身の上のお方でこんなことにおなりなのですか」
と尋ねてみるけれど、正気も失(う)せている様子である。
薬湯(くすり)を取り寄せて、手ずからすくい入れて飲ませなどするが、
ただ弱る一方で今にも息絶えてしまいそうなので、
(僧都の妹の尼君)「なまじ介抱してやっても大変なことになる」
というわけで、
(僧都の妹の尼君)「この人がなくなってしまいそうです。 加持祈祷をなさってください」
と験者(げんざ)の阿闍梨(あじゃり)に言う。阿闍梨は、
(阿闍梨)「それごらんなされ。よけいな世話やきをなさるというものです」
とは言うけれども、加持に先立って、神などの助けを求めるために
経を読んではお祈りをする。
 僧都も顔を出して、
(僧都)「様子はどう・・・・《か。何もののしわざなのか、よく調伏して
問いただしてみよ」
とおっしゃる》

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。


《At Writing Practice(手習)》
Not having witnessed the earlier events, they performed
the task equably.
The girl looked up through half-closed eyes.
She did not seem to understand.
The nun forced medicine upon her, but she seemed
on the point of fading away.
They must not let her die after she had been through so much.
The nun called for the monk who had shown himself
to be the most capable in such matters.
"I am afraid that she is not far from death.
Let her have all your best spells and prayers."
"I was right in the first place," he grumbled.
"He should have let well enough alone."
But he commenced reading the sutra for propitiating the local gods.
"How is she?" The bishop looked in.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。


《手習》
侍女不曾看在林中的模,所以并不害怕,
就抱室内去了。女子然全无生气,却能略微眼睛来望望。
妹尼僧道:“。到底是?什来到地方?”
但似乎没有知。妹尼僧便拿些来,手喝。但一味昏迷,
似乎就要断气的子。妹尼僧想:“我已,如果死了,
反而增添我的悲。”便同来那个有法的阿梨:
“个人似乎要死了。快快替祈祷。”
阿梨:“我早就不中用了。是枉心机。”
但他是向神般若心,又做祈祷。
僧都也走来探,道:“怎了?


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「手習の巻」原本の末尾(原本番号67-A)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

左の写真が「源氏物語」手習の巻の末尾(原本番号67-A)の押印。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。
上部には、「假色迷人猶若是」(仮の色、人を迷わす、なおかくのごとし)という漢文の篆書印が押捺されている。
言葉の意味は、「狐という仮の物が本物のように人を惑わせる。しかし、本当の美女(楊貴妃)が
人を魅了するのは、往々にしてそれを超える」のです。この漢詩は白楽天の漢詩の有名な一節です。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(手習の巻)MRI 53―7A
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款


「源氏物語」手習の巻の絵の資料

下記写真は、浮舟を描いた「源氏物語・浮世絵絵図」






「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」



1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴) 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。

漢詩文 原文上部には「假色迷人猶若是」(仮の色、人を迷わす、なおかくのごとし)という漢文の篆書印が押捺されている。 言葉の意味は、「狐という仮の物が本物のように人を惑わせる。しかし、本当の美女(楊貴妃)が人を魅了するのは、往々にしてそれを超える」のです。この漢詩は白楽天の漢詩の有名な一節です。紫式部が「手習」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「手習の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「手習の巻」に用いられていることで広く知られている。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。

漢詩の落款の意味 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。  特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。  「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。 「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。  落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「假色迷人猶若是」(仮の色、人を迷わす、なおかくのごとし)という漢文の篆書印が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。


自筆の希少価値について 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

断層(MRI)写真 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。

寸法 「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。

「源氏物語」の自筆について 1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。 承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP 近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。 出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

ツイッター「源氏物語の世界」 も合わせてご覧ください。



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