F4212【清風明月】アンブローズ Pt950 アイスブルーダイヤ0.60ct 屈強なる魂の指輪 #17 9.93G 6.93mm



【清風明月】アンブローズ Pt950 アイスブルーダイヤ0.60ct 屈強なる魂の指輪

【以下、商品説明文】

ふぅむ……。
儂(わし)の書斎の、分厚い欅(けやき)の一枚板の机。その上で、この指輪は静かに、しかし確固たる存在感を放っておる。まるで、厳冬の明け方、白み始めた空の色をそのまま氷に閉じ込めたかのようだ。近頃の、軽薄で中身のない、ただキラキラと光るだけの宝飾品とはわけが違う。これには「重み」がある。物理的な9.93グラムという重みだけではない。素材と、作り手の魂と、そして、これがこれから歩むであろう物語の重みだ。
手に取ってみる。ひんやりと、しかし肌に吸い付くような白金の感触。Pt950……純度95パーセントのプラチナだ。そこらのPt900とは気概が違う。たった5パーセントの差と思うなかれ。この5パーセントにこそ、作り手の譲れない矜持(きょうじ)が、妥協を許さぬ美意識が宿るのだ。まるで、備前の土を前にした陶工が、土の持つ力を最大限に引き出すために、僅かな砂の配合にも心を砕くのと同じこと。この指輪の作り手「アンブローズ」は、その種の職人たちの末裔であろう。日本の、知る人ぞ知る、真のジュエラーだ。
そして、この石だ。アイスブルーダイヤモンド。合計で0.60カラット。巷(ちまた)では「トリーテッド」、つまり処理石だと聞いて、眉をひそめる浅薄な輩(やから)もおるやもしれん。愚かなり。それは、天然の鮎に塩を振って焼くという人の英知を、「加工品だ」と貶(おとし)めるのと同じこと。原石が持つ潜在的な美しさを、人間の技術が最大限に引き出した結果が、この神々しいまでの青なのだ。これは自然と人間の共同作業によって生まれた芸術品。まるで、魯山人が北大路窯で焼いた織部焼の、あの鮮烈な緑のようなもの。土と、釉薬と、炎と、そして何より陶工の美意識が一体となって初めて生まれる奇跡の色だ。このダイヤモンドの青は、まさにそれと同じ境地にある。
デザインを見よ。無骨なようでいて、計算され尽くした構成美。いくつかの区画に分けられ、それぞれにダイヤが敷き詰められておる。これは、ただの飾りではない。人生の節目、あるいは、人間が持つ様々な感情の部屋を象徴しているかのようだ。そして、それらを分かつ、力強いプラチナのライン。これは、人生の荒波を乗り越えるための意志の力か。あるいは、決して交わることのない、個として独立した魂の境界線か。ユニセックス、男女兼用だと? 当たり前だ。これほどの魂の器に、男も女もあるものか。これを身に着けるにふさわしいか、否か。ただそれだけだ。
さて。
儂がなぜ、この指輪を前にして、これほど長々と語っておるのか。
それは、この指輪が「結婚」というものの本質を、あまりにも雄弁に物語っているように思えるからだ。
世の愚か者どもは、皆、勘違いをしておる。
「結婚とは、一番相性の良い、最高のパートナーと結ばれることだ」と。
笑わせる。ちゃんちゃらおかしいとはこのことだ。反吐(へど)が出る。
いいか、よく聞け。
結婚相手とはな、本来、自分にとって一番相性の悪い人間を選ぶのが道理なのだ。
何を馬鹿な、と口を尖らす若人の顔が目に浮かぶようだ。だが、考えてもみよ。
お主らは、何のためにこの世に生を受けてきた? 美味いものを食い、楽な暮らしをし、自分と気の合う仲間とだけ笑い合って、それで満足して死んでいくためか? そんなものは、家畜の生き方と何ら変わらん。
我々人間が、この面倒で、苦難に満ちた娑婆(しゃば)に生まれ落ちた意味。それは「修行」のためだ。己の未熟な魂を、この人生という名の砥石(といし)で磨き上げ、少しでもマシなものにするため。それ以外に、一体何があるというのだ。
では、その修行の、最も苛烈で、最も効果的な道場はどこにある?
それが「家庭」という場所であり、その師範代こそが「配偶者」という存在なのだ。
考えてみろ。自分と何もかもが合う、以心伝心で、何の衝突も摩擦も生まない相手。そんな相手と一緒にいて、魂が磨かれると思うか? 否だ。それはただの居心地の良いぬるま湯。魂はふやけて、堕落していくだけだ。自己満足の沼に沈んでいくだけだ。
真の修行とは、己の思い通りにならぬことと向き合うことにある。
金銭感覚が全く違う相手。
部屋の片付けに対する基準が、天と地ほどに違う相手。
味の好み、子育ての方針、休日の過ごし方、親戚付き合いの流儀……何から何まで、いちいち癇に障る相手。
なぜ、こんな簡単なことが分からないのか。なぜ、こうしてくれないのか。なぜ、私の気持ちを理解しようとしないのか。
その「なぜ」の連続こそが、修行の始まりなのだ。
その時、人は初めて、己の傲慢さ、自己中心性、不寛容さ、忍耐力のなさに気づかされる。相手をコントロールしようとする己の醜いエゴと向き合わされる。
相手は、己を映す「鏡」なのだ。自分にとって最も相性が悪いと感じる相手は、自分に最も欠けている部分を、容赦なく映し出してくれる最高の鏡なのだ。
その鏡から目を逸らし、「相性が悪いから」と別れを告げるのは、最も安易な逃避だ。それは、道場の辛さに耐えかねて逃げ出す、根性なしの門下生と同じこと。そんなことを繰り返したとて、何の成長も得られぬまま、同じ過ちを繰り返すだけだ。
相性の悪さという名の摩擦熱に、日々、身を焼かれながら、それでも相手を許し、受け入れ、理解しようと努める。その苦しみの中からしか、本物の「愛」というものは生まれんのだ。それは、恋愛感情のような、軽薄で移ろいやすいものではない。もっと深く、大きく、そして揺るぎないもの。慈悲、とでも言うべきものだ。
この指輪を見ろ。
この硬く、決して変質することのないPt950のリング。これは、どんな困難があろうとも添い遂げるという、金剛石の如き「覚悟」の象徴だ。
そして、この無数のアイスブルーダイヤモンド。これらは、日々の暮らしの中で生まれる、無数の涙や葛藤の結晶かもしれん。しかし、それらは決して醜いものではなく、光を受けて、かくも清冽(せいれつ)に、美しく輝くのだ。苦しみの中からしか、真の輝きは生まれん。
この指輪のデザインは、まさに相性の悪い二人が、それでも共に在る姿に見える。
異なる区画(パーソナリティ)を持ちながら、プラチナという強固な絆(覚悟)によって結ばれている。決して一つに溶け合うことはない。個は個として尊重される。しかし、全体として、一つの揺るぎない美しさを形成している。これこそが、夫婦というものの理想の姿ではないのか。
だから、儂は言う。
この指輪は、ただの婚約指輪ではない。
これは、これから始まる長き「修行」の道へと旅立つ、二人の戦士に授けるべき「印」なのだ。
「我々は、互いにとって最も相性の悪い、最高の修行相手を見つけました。これから、この人生を懸けて、互いの魂を磨き合うことを誓います」
という、崇高なる誓約の証だ。
そんな覚悟も持てぬ若造が、ファッション感覚でこの指輪に手を出すことは許さん。
だが、もし。
もし、この儂の戯言(たわごと)に、少しでも心を動かされ、結婚と人生の本質を理解した上で、この指輪を手にしたいと願う、気骨のある人間がいるのなら……。
その者こそ、このアンブローズの指輪が、永きにわたって待ち続けてきた、真の主(あるじ)であろう。
この指輪は、お主の指で、その屈強なる魂と共に、清風明月のごとく、澄み切った輝きを放ち続けるに違いない。
さあ、覚悟はできたか?

【商品スペック】
【備考】
画像の通り、非常に存在感のあるユニセックスデザインのリングです。男性のピンキーリングや薬指、女性のインデックスリングなど、様々なスタイルでお楽しみいただけます。特に、他にはない、意志の強さを感じさせる婚約指輪や結婚指輪をお探しの方に、心からお勧めいたします。これは単なる装飾品ではなく、持つ人の人生に寄り添う、生涯の伴侶となりうる逸品です。ご縁のある方からのご入札を、心よりお待ちしております。

こちらはあんまり反響なかったら取り消します~奮ってご入札頂けると嬉しいです~