121 x 52.5 センチ (全体) 29 x 40.5 センチ (本紙)
軸先:樹脂
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【細木原青起】1885-1958 明治-昭和時代の漫画家,挿絵画家。明治18年5月15日生まれ。「京城日報」を振り出しに「東京日日新聞」「大阪朝日新聞」で漫画やユーモア小説の挿絵をえがく。俳句にもすぐれ河東碧梧桐門下。昭和33年1月27日死去。72歳。岡山県出身。旧姓は鳥越。本名は辰江。著作に「日本漫画史」など。
【西郷隆盛】1828-1877 明治維新の指導者。薩摩鹿児島藩の下級士族の出身。名(諱)は元服時には隆永、のちに武雄、隆盛と改めた。通称を吉兵衛,吉之助,号は南洲。藩主島津斉彬に取り立てられ江戸詰となり,将軍継嗣問題で一橋慶喜擁立運動に東奔西走するが,井伊直弼大老就任とともに始まる安政の大獄で幕吏の追及を受け,僧月照とともに帰藩した。
【大久保利通】1830-1878 幕末,明治初期の政治家。西郷隆盛,木戸孝允と並んで〈明治維新の三傑〉といわれる。薩摩藩士大久保利世の長男に出生。若年,開国後の緊迫した世情をうけて,薩摩藩尊王攘夷グループのリーダーとなり,1859年(安政6),大老井伊直弼襲撃を計画したが未遂。しかし,これをきっかけに藩政実力者の島津久光の知遇を得て側近に抜擢され,尊攘論から公武合体論に転向した。62年(文久2),久光の公武合体・幕政改革の運動に参画,一橋慶喜を将軍後見職に,松平慶永を政事総裁職につけるのに成功し,その名を広く天下に知られるようになった。雅号は甲東。1862年久光から一蔵の名を賜り通称を改める。
【木戸孝允】1833-1877 幕末-明治時代の政治家。天保4年6月26日生まれ。長門(山口県)萩藩医和田昌景の次男。桂孝古の養子。嘉永2年吉田松陰の松下村塾にはいる。のち江戸に遊学する。小五郎と称し,新堀松輔の変名もつかった。慶応元年木戸と改姓。西郷隆盛と薩長同盟をむすび,倒幕をはかる。明治新政府の中枢にあって,「五箇条の誓文」の起草,版籍奉還,廃藩置県を主導した。明治3年参議となり,4年岩倉遣外使節団の全権副使。内政重視の立場から征韓論に反対,台湾出兵にも反対して,独裁をつよめる大久保利通と対立,政権の主流からはなれた。西南戦争のさなかの明治10年5月26日病死。45歳。号は松菊,木圭,猫堂,老梅書屋,竿鈴(干令)など。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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