塗装済み完成品_ヒカリ工房製_飛燕シリーズ_全型式_04)ハセガワ_1/48_Jt14_飛燕Ⅰ型丁_飛行第244戦隊長_小林照彦大尉乗機_送料込み
| 塗装済み完成品_ヒカリ工房製_飛燕シリーズ_全型式04)ハセガワ_1/48_Jt14_飛燕Ⅰ型丁_飛行第244戦隊長_小林照彦_大尉搭乗機_昭和20年2月_東京・調布飛行場の送料込みです。 |
ずっと零戦シリーズを製作していましたが、派手な機体を作りたくなり、派手な日本機と言えば陸軍機ということで、三式戦闘機_飛燕のⅠ型全形式4種、すべて飛行第244戦隊の4機を作ってみました。 私には隼以外の(泣)大日本帝国陸軍戦闘機たちには「設計は良かったのに・・・」という気持ちがありまして、三式戦_飛燕はエンジンさえよければ、あのノ-スアメリカンP-51マスタングにも負けない優秀な戦闘機として活躍できたのに・・・と考えています。(泣) 画像を見て気に入っていただければご落札ください。 |
| ■ 実機について ■ |
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1937年(昭和12年)12月に制式採用された中島製の全金属製低翼単葉機九七式戦闘機(キ27)は、主脚に固定脚を採用した保守的な設計かつ格闘戦向けの戦闘機で、当時としては速度・上昇力・旋回性に優れた優秀機でした。 しかし、当時の欧州では引込脚のBf 109(ドイツ)とスピットファイア(イギリス)が出現しており、設計面で将来性が乏しい九七戦自体に限界を感じていた陸軍は新型戦闘機の開発を模索するようになりました。 九七戦の後継機としてはキ-43 隼が試作されましたが、一方、欧州の戦闘機開発も考慮した陸軍は、重武装かつ対戦闘機戦にも対大型機戦にも対応できる速度重視の「重単座戦闘機」の開発も1940年(昭和15年)2月、川崎に内示しました。 「重単座戦闘機」のための大馬力エンジンとしては適当なものがなく、独自の液冷エンジンを持たない日本がBf 109(ドイツ)の液冷エンジン ダイムラー・ベンツ社製DB 601を国内でライセンス生産したハ-40を装備する完全な「重単座戦闘機」としてのキ-60と、どちらかと言えば「軽単座戦闘機」思想のキ-61が試作されました。 キ-60は1941年(昭和16年)3月、キ-61は1941年(昭和16年)12月に初飛行し、両者の比較の結果、キ-61のほうが総合的に優秀と判断され、1943年(昭和18年)10月、三式戦闘機 飛燕として正式採用されました。 その設計は極めて優秀で、同じエンジンを装備するBf 109(ドイツ)より最大速度が20Km/hも速く、操縦・安定性能、旋回、急降下、航続性能、すべてが高度なレベルにあると判定されました。 陸軍は川崎に対して大量生産を指示し、1942年(昭和17年)8月から生産を開始しましたが、川崎の量産体制が整っていなかったために、量産機が本格的に陸軍に引き渡されるようになったのは1943年(昭和18年)であり、飛燕を装備する最初の実戦部隊、飛行第68戦隊と78戦隊のニューギニア島ウエワクへの進出は、1943年(昭和18年)7月になりました。 飛燕はエンジンさえ好調ならばP-38、P-39、P-40等の米陸軍戦闘機に対して有利な戦いができましたが、そのころからハ-40の不調がしだいに表面化し、稼働率が低く、それでなくとも圧倒的数量差がある状況で両戦隊は苦戦を強いられ、1944年(昭和19年)3月ごろには可動機ゼロとなり生存者は友軍戦線への徒歩による撤退を行い、数人の生存者以外戦死するという悲惨な結果となりました。 以後、終戦までハ-40エンジンの不調は飛燕についてまわり、各型合計、3,162機生産されながら、1944年(昭和19年)11月からの飛行第244戦隊の本土防空戦での活躍以外、華々しい戦歴もなく悲劇の優秀機として今も記憶されています。 Ⅰ型丁は、ようやく開発された国産ホ5 20mm機関砲を機首に装備し、防弾装備により減少した燃料容量を増やすため、胴体タンクを復活し、これによる重心位置の後退を矯正するため機首を200mm延長した改良型で、最多の1,358機生産されました。 作例は、1944年11月末に日本陸軍史上最年少の飛行戦隊長として、24歳で飛行第244戦隊に着任し、体当たりによるB-29の1機を含む、計12機の撃墜を記録した小林照彦少佐乗機です。 |
| ■ 製作方法 ■ |
①機体接着後、クレオスMr.カラーNo.8(シルバー)で下塗り塗装した後、接着跡、筋彫りの修正を行い、全体をクレオスMr.カラーNo.90(シャインシルバー)で吹き付け、筆塗りで修正をし、墨汁でスミ入れウォッシングをしました。 ②操縦席は筆塗り塗装し、計器盤はドライブラシで再現し、シートベルトを紙製で追加工作しています。 ③主翼上面の脚指示棒と主脚のブレーキパイプを追加しています。 ④国籍マーク、主翼・胴体帯はスプレー塗装しました。 ⑤飛行戦隊マーク・機体番号等はデカールを使用しました。 ⑥0.12mmエナメル線でアンテナ線を再現し、統制型200燃料タンクを主翼下面に装備しました。 ⑦マーキングは、飛行第244戦隊長_小林_照彦少佐_乗機_昭和20年2月_東京_調布飛行場としました。 ⑧費用の関係からエッチングパーツ等、高価なものは一切使用していません。 発送サイズ たて×よこ×高さ 80サイズ |
| ◆ お願い ◆ |
ノークレーム・ノーリターン・返品不可でお願いします。 入札していただいた方の評価などを参考に、当方の判断で入札を取消しさせて頂く場合がありますので、あらかじめご了承願います。 |
| ■ 配送について ■ |
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