182 x 46 センチ (全体) 101 x 34 センチ (本紙)
軸先:骨
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 絹本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【松村呉春】1752-1811 画家。四条風の開祖。名は豊昌、号に呉春・月渓、字は伯望など。通称嘉右衛門・文蔵。壮年の頃呉服村酒造家に寓し、呉春と改め、大西酔月を師として、のち蕪村について画を修め俳諧をよくする。蕪村の歿後は応挙の画を好み弟子にと請うが応挙は固く辞し、親友として画学を研究し写生を勉強して終に一家をなす。文化8年(1811)歿、60余才。
【松村景文】1779-1843 江戸後期の四条派の画家。京都の人。初名は直治,字は士藻,号は華渓,通称要人。呉春の異母弟で,彼に画を学んだ。兄といっても呉春とは親子ほど年齢が離れている。四条に住んで,妙法院に出仕した。花鳥画を得意とし,大作は少ないが「墨色の美麗なるは兄に勝る所あり」ともいわれた。写生にはげみ,淡白で軽妙な筆使いで花卉などを描いた四十数冊の写生帳(堂本美術館蔵)が残っている。文政12(1829)年京都祇園会の長刀鉾の天井裏に描いた「群鳥図」は景文の名を高めた。兄のあとを継いで四条派の隆盛をもたらした。65歳で没し,金福寺の呉春墓の側に葬られた。
【円山応震】1790-1838 江戸時代後期の画家。寛政2年3月1日生まれ。円山応挙の孫。木下応受の子。伯父円山応瑞の養子となる。山水,人物,花鳥にたくみだった。天保9年8月3日死去。49歳。字は仲恭。号は星聚館,方壺。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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