前所有者様の入手から15年6ヶ月が経過した古いステッカー「関東連合 鼠小僧(黒反射×金)」
昨年12月以来、7ヶ月ぶりの出品であり、当方が所有する最後の1枚で御座います。
幻の名著と云われる「爆走ステッカー大全集」にも掲載された名作です(5枚目の画像参照)
昭和49年(1974年)の関東連合結成&参加時にデザインされたと云われる激レアバージョンであり、
鼠小僧のステッカーに冠される有名な「競争自動車倶楽部」が「関東連合」に変更されています。
(3枚目の比較画像をご参照ください)
光があたると黒い地の部分がシルバーに反射して浮き出してみえる高級な黒反射ステッカーです。
(2枚目の画像をご参照ください)
反射ステッカーは「夜間でもチーム名をハッキリ読みとれる」という観点から人気を博し、
1960年代~1970年代のチームは挙って(こぞって)反射ステッカーを制作しました。
これこそが「チームと看板に誇りを持っていた」古きよき時代の自己主張だったといえるでしょう。
15年あまりにもわたりグラシン紙に包んだうえで箱に入れて大切に保管されていた品ではありますが、
古い品ゆえ 経年による「ヤレ感」「ヨレ」「圧し痕」「小キズ」などが御座います。
ヤフオクやヤフーフリマ、メルカリなどで氾濫しております「部外者が自作したマガイモノ」ではありません。
また、1980年代~四国のマニアにより乱造乱発された「空想上のステッカー」でも御座いません。
江戸時代の義賊「鼠小僧次郎吉」からの命名と伝えられる伝説のチーム「鼠小僧(ねずみこぞう)」
治郎吉の義侠心と、江戸の町の屋根から屋根へ身軽に飛び回るカッコよさ
これらをイメージし、あやかっての命名だったとのことです。
若い世代の方々には「鼠小僧」のネーミングは浸透していないかもしれませんが
わたくしたち熟年世代にとりましては、まさに憧れのチームでした。
カミナリ族時代からの伝統を誇り、「走り」にたいしての徹底的なこだわりを持つ競争型チーム。
1968年(昭和43年)に世田谷のカーマニア5人が集まって結成され、二輪部は1970年に創設。
初期「関東連合」の中心チームであった「鼠小僧」ですが、「ジェロニモ」「小次郎」らとともに
連合内でもグループ間の抗争や縄張りには興味を示さず、ただただ過激な走りに熱中。
「他のチームでは鼠にはついていけない」といわれたほどのドライビングテクニックを誇りました。
昭和50年(1975年)に行なわれた「サーキット族リーダー座談会」において、
「マッドスペシャル」全盛期の当時のアタマSm氏が
「ねずみ(鼠小僧の通称)が全盛のころ、オレずいぶんひっぱたかれた。
あんな悪いチームあるかと思ったね」と回想されたほど、
初期の「鼠小僧」は走りのみならず強大なパワーを誇ったチームでした。