《源》【即決・送料無料】《高級工芸品》頼山陽 自筆 讃句「山勢自東來・・・」楠公 武者絵/箱付
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■商品説明 ご覧の様な《高級工芸品》頼山陽 自筆 讃句「山勢自東來・・・」楠公 武者絵/箱付です。 下記、頼山陽の手により、 文政11年(1828年)3月19日の日付にて、 独特な筆使いにて楠木正成公を詠った漢詩が書かれ、 下部には、楠木正成公のお姿が描かれている品の工芸の作品です。 【 南遊往反數望金剛山想楠河州公之事慨然有作 】 頼山陽が楠木正成公を詠った漢詩のひとつ 山勢自東來,如鳥開雙翼。遙夾大江流,相望列黛色。 南者金剛山,插天最岐嶷。〇尾抵海垠,蜿蜒劃南域。 隱與城郭似,擁護天王國。想見豫章公,孤壘扞群賊。 合圍百萬兵,陣雲繞麓黑。臣豈不自惜,受託由面敕。 灑泣誓吾旅,爲君鏖鬼〇。果然七尺躯,自有回天力。 宕叡連武庫,隔江對正北。公死實在彼,在公盡臣職。 所惜壞長城,寧支大厦仄。吾行歴泉紀,往反縁大麓。 顧瞻山海間,慷慨三大息。丈夫有大節,天地頼扶植。 悠悠六百載,姦雄迭起〇。一時塗人眼,難洗史書墨。 仰見山色蒼,萬古淨如拭。 【南方への旅行の往復に、しばしば金剛山を望み見て、 楠木河内守正成公を想い出して憤り悲しんで嘆いて、(この詩を)作った。】 山並みは、東の方より(迫って)来て、鳥が左右の翼を拡げたようである。 遙かに大きな川の流れを夾んでいる、望みやれば、黛の色(の山の稜線)が列なっており。 その最南は、金剛山である、(峰がそそり立って)天を差し挟むのが最も抜きん出ている。 尾を曳いて、海岸に至っている、(和泉山脈は)うねうねと屈曲して長く続き、南側の紀伊の国と区切っている。 (山脈の)重みのあるさまは、城郭のようであり、天子の内つ国を危害・破壊から庇い護っている。 楠公を想い見れば、孤塁である千早城や赤坂の城にたてこもって、押し寄せる賊軍から守っていた。 百万もの多数の兵士が取り囲んで、戦陣が雲霞のごとく、山を真っ黒に取り巻いている。 楠木正成は、どうして自らを惜しむことがなかったのだろうか、 (無謀なことを敢えてしたのは)天子からの直接のお声がかりにお応えするためである。 涙を流して、軍旅に誓った、大君の為に、賊軍たる足利軍を鏖殺しよう。 思ったとおり果たして、大丈夫たるますらをの身は、自ずと天下の形勢を一変させる回天の力が、具わっている。 愛宕山と比叡山は、(楠木正成が奮戦した)武庫に連なっていて、淀川を隔てて、真北になる。 楠木正成公が戦死したのは、彼の地になり、臣下としての(当然の)職責を果たしたにすぎない。 惜しむ所は、国家の重鎮(たる彼)を滅ぼしたことである、 大きな建物(国家)が倒れようとするのに、どうして支えきれようか。 私の旅行の道筋は、和泉の国と紀伊の国を経るが、往復は、大山脈の麓沿いになる。 和泉山脈とその西の海との間の道を振り返って見て、慷慨して三たびため息をついて嘆いた。 男たるべき者は、立派な節義(を背負って)いれば、天地も、支援してくれるものである。 遠く遙かな六百年間に、奸雄が、かわるがわるに立ち上がっては、倒れていった。 ひとときの間は、世間の人の目をごまかせても、歴史の評価と記述は、変更しがたい。 山の蒼茫たる色合いを仰ぎ見ると、遠い昔から、ぬぐったように清らかである。 《 頼山陽 》 江戸後期の儒者・勤王家。大阪生。 広島藩儒頼春水の長男。名は襄、字は子成、通称を久太郎、別号に三十六峰外史。 初め叔父頼杏坪について広島で学び、さらに江戸で尾藤二洲・服部栗斎に師事する。 のち京都に出て私塾を開き、書斎山紫水明処を営む。 天保3年(1832)歿、53才。 ■絹本・工芸品 ■状 態 本紙の下部にシミ跡等あり。 ■寸 法 軸寸法/約191.0cm×約47.5cm。 本紙寸法/約102.0cm×約33.5cm。 ■落 款 御覧の様な銘・落款等あり。 ■箱 箱。 【即決・送料無料】の表示商品に限り、 一部地域(北海道・沖縄)を除き、送料無料キャンペーンを実施しております。 ご希望の方は、お早めに入札して頂けます様、宜しくお願い致します。 【※※なお、作品に対して疑問や質問がある場合には、※※】 質問欄もしくは、ストア情報に当方の情報が記載されておりますので、こちらをクリックしてお問い合わせ下さい。 宜しくお願い致します。 |
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