B04410 須田国太郎 馬色紙 S38年3月 大阪美術商協同組合 金八萬円:本物保証 送料無料


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B04410 須田国太郎 馬色紙 S38年3月 大阪美術商協同組合 金八萬円:真作
B4410
[額]縦径:41.3cm 横径:38.2cm 厚み:2.6cm
[絵]縦径:27.2cm 横径:24.0cm 

状態:ヤケ・シミ少々。左上押印「須」あり。
昭和38年3月23日大阪美術商協同組合 金八萬円 須田国太郎 馬色紙 八萬円 落札フダ付須田国太郎(1891-1961)は京都に生まれ、京都帝国大学で美学美術史を学びながら関西美術院でデッサンを修めました。その後大学院に進学、1919年には絵画理論と実践の綜合を求めるべく渡欧して、主にスペインのプラド美術館で、ヴェネチア派の絵画の色彩表現やエル・グレコの明暗対比の技法を独学します。
1923年に帰国後は、美術史を講じるかたわら制作に励み、41歳を迎えた
1932年、東京銀座の資生堂画廊で、はじめて個展を開きました。これを機に、翌年、独立美術京都研究所の開設にともない、学術面の指導者として招かれ、1934年には独立美術協会会員となって制作活動も本格化、渡欧で得た成果を糧に独自の重厚な作風を確立しました。高潔な人格と広く深い学識、そして東西絵画の融合をも視野に収めた壮大な須田国太郎の制作活動は、日本人画家が追求した絵画表現のもっとも注目すべき実践例のひとつといって過言ではありません。
1891年(明治24年) - 京都市中京区で生まれる
1910年(明治43年) - 第三高等学校在学中、独学で絵を描き始める
1916年(大正5年) - 京都帝国大学哲学科(美学美術史)を卒業して大学院に進む
1917年(大正6年) - 関西美術院に入ってデッサンの勉強にも励む
1919年(大正8年) - 渡欧。マドリードを拠点に各地を旅しつつ、スペイン美術及びヴェネツィア派を研究
1923年(大正12年) - 帰国。京大美学会に参加するとともに、高等学校の講師をするかたわら制作に励む。帝展に落選
1931年(昭和6年) - 長男・寛誕生
1932年(昭和7年) - 東京銀座の資生堂画廊で、初めて個展を開く
1933年(昭和8年) - 独立美術京都研究所の開設に伴い、学術面の指導者として招かれる
1934年(昭和9年) - 独立美術協会会員となって制作活動も本格化、渡欧で得た成果を糧に独自の重厚な作風を確立
1947年(昭和22年) - 日本芸術院会員に就任1950年(昭和25年) - 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)教授に就任
1956年(昭和31年) - 第28回ヴェネツィア・ビエンナーレに「法観寺塔婆」などを出品
1961年(昭和36年) - 70歳で没


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