☆【朱と黒が織りなす伝統の技!根来塗】ペン皿 7×26.5×0.8cm 材質:MDF 塗り:ウレタン塗装 株式会社島安汎工芸製作所 和歌山県RE525MU
近きころ高野の御山に かくばん上人とて やんごとなき聖者おわしけり
その昔、根来寺をはじめとして高野山全体を統治していた興教大師という高僧がおられました。大師は九州に生まれ、京都御室の寺の寛助僧正の門に入って出家得度され、たゆみなき仏教の研鑽は奈良東大寺の修学に引続き弘法大師の真言宗開教の本旨を深く尋ね、鳥羽上皇の院宣で大伝法院を建立されるなどその人柄は「覚ばん上人」として僧徒大衆に広く親しまれておられました。
彼のあまりにも高い名声にねたみをもつ者があり、保延六年暮の頃、覚ばん上人のお住いである密厳院をおそったのですが、その乱暴をさけ多くの弟子一同を連れて根来に移られました。
根来寺での覚ばん上人は、遠大なる理想のもとに造営を進められたのですが、ついに康治二年異議深い人生をこの地において閉じられたのです。彼の意志を継いで、根来寺はますます盛んになり、大大名ほどの勢力に発展しました。
「根来塗」はその僧徒大衆が、膳・椀・豆子・チョウ子などを自家用として作り始めたものですが、天正十三年秀吉の兵火によって灰燼に帰したおり、彼らは四散し、特徴あるその漆法は、諸方に伝搬されました。