昭和時代の版画家。明治36年9月5日生まれ。油絵を独学し,大正13年上京。平塚運一を知って木版画に転じ,昭和11年国画会展の「大和し美し版画巻」で柳宗悦らに注目された。13年新文展で「善知鳥」が特選,31年ベネチア-ビエンナーレで「柳緑花紅頌」などが国際版画大賞。自らは版画を板画と称した。45年文化勲章。昭和50年9月13日死去。72歳。青森県出身。自伝に「板極道」。
前田普羅
前田 普羅(まえだ ふら、1884年(明治17年)4月18日 - 1954年(昭和29年)8月8日)は、俳人。高浜虚子に師事。「辛夷」主宰。本名は忠吉(ちゅうきち)。別号に清浄観子。
東京生まれ(生い立ちの詳細は不明で、生年は1886年の異説があり、生地も横浜としている文献がある)。両親が台湾に渡り、母の没後は父の再婚等の事情で伯父の家に育った。早稲田大学英文科中退。横浜裁判所勤務、時事新報社を経て報知新聞社横浜支局の記者となる。1910年結婚。俳句は1912年、裁判所時代の知人杉本禾人の勧めで「ホトトギス」に投句。1914年に主宰高浜虚子より、原石鼎とともに新鋭として称揚を受ける。同年「ホトトギス」課題選者。のちに石鼎、飯田蛇笏、村上鬼城らとともに大正初期の「ホトトギス」代表作家として評価されるに至る。1922年、「加比丹」を創刊するも7号で廃刊。
1923年、関東大震災によって家財一切を失う不幸に見舞われる。翌年、富山県に転居、報知新聞社富山支局の支局長となる。ここで立山連峰をはじめとする雄大な自然に感銘を受け、以来立山や黒部の山岳をしばしば渡り歩き、また能登や佐渡、飛騨へも足を延ばし句を作った。1926年、池内たけしに代わり「辛夷」選者に就任。1929年、同主宰となる。同年、富山永住を決意し、富山支局長となっていた報知新聞を退社、俳句に専念する。
晩年は戦争の被害を受け、奈良、京都、千葉、川崎など各地を転々とし、1950年に東京に戻った。この間に再婚と離婚。1952年、持病の腎臓病が悪化、高血圧症を併発。1954年8月8日、脳溢血のため東京都大田区矢口町の自宅で死去。
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