「翔ぶが如く」全10巻 ◆司馬遼太郎(文春文庫)


司馬遼太郎の「翔ぶが如く」全10巻(文春文庫)です。状態は、全般にかなり良好です(なお写真は現品と異なりますが、状態は写真と同等以上です)。送料は、クリックポスト(3個口)で555円です。

◆内容: 明治維新政府は内外に深刻な問題を抱え、絶えず分裂の危機を孕んでいた。西郷隆盛と大久保利通 ― ともに薩摩に生をうけ維新の立役者となり、今や新政府の領袖となった二人であるが、明治6年、年来の友誼を捨て、西郷の征韓論をめぐり鋭く対立。両派の激突は政府を崩壊させ、日本中を大混乱におとしいれた。そして、西郷は大久保に敗れた。故国へ帰る彼を慕い、薩摩系の士官達は陸続として東京を去ってゆく。薩摩は叛旗を翻し、独立国の様相を呈し始め、これに対し政府は厳しく決着をつけようとする ―内戦への不安が現実となってゆく。明治7年、西郷に続いて官を辞した江藤新平が突如佐賀で叛旗をひるがえし、素早く対処した大久保は江藤を梟首に処すという苛酷な措置で決着をつける。征台の気運が高まる明治7年、西郷従道率いる3千人の征台部隊は清との戦闘開始を待ち望んでいた。大久保は政府内の反対を押し切り、実権を握る李鴻章を無視して北京に入り、50日に及ぶ滞在の末ついに平和的解決の糸口をつかむ。台湾撤兵は成るが、大久保の処置は兵士達の失望と不満を生む。これ以後、政府は全国に慢性化した士族の反乱気分を抑えかねるようになる。政府は鹿児島私学校を警戒し潰滅を狙う。その戦略として前原一誠を頭目とする長州人集団を潰そうとする。しかし明治9年、先に熊本で士族の蜂起 ―神風連ノ乱が起こった。政府はこれらをただちに鎮圧したが、鹿児島への警戒を怠らず、大警視川路利良の命を受けた密偵が西郷暗殺を図っているとの風聞が私学校に伝わった。明治10年2月、ついに西郷が立ちあがり、私学校本局で対政府挙兵の決議がなされる。大久保利通の衝撃は大きかった。薩軍は鹿児島を出発、熊本城めざして進軍。西郷隆盛にとって妻子との永別の日であった。迎える熊本鎮台は篭城を決意、援軍到着を待った。戦闘が開始された。「熊本城など青竹一本でたたき割る」勢いの薩軍に、綿密な作戦などは存在せず圧倒的士気で城を攻めたてた。政府援軍は熊本をめざして進軍し、薩軍は田原坂でこれを迎え撃つ。十数日間の激しい攻防戦が続いた。薩軍は強かった。すさまじい士気に圧倒される政府軍は惨敗を続けた。しかし陸続と大軍を繰り出す政府軍に対し、多数の兵を失った薩軍は銃弾の不足にも悩まされる。ついに、薩軍は田原坂から後退し、その後各地を転戦の末、鹿児島へ帰った。城山に篭る薩兵は300余人。包囲する7万の政府軍は9月24日早朝、総攻撃を開始。西郷と薩軍幹部はそれぞれの生を閉じた。そして翌年、反乱士族を鎮圧した大久保もまた凶刃に斃れ、激動の時代は終熄したのだった。

◆著者、司馬遼太郎は1923年、大阪市生まれ。旧制大阪外国語学校(現在は大阪大学外国語学部)蒙古語学科に入学後、1943年11月に学徒出陣により仮卒業し(翌年に正式卒業)、陸軍の戦車第十九連隊に入隊。満州配属を経て栃木県佐野市で終戦を迎え、復員後は新世界新聞社を経て、産経新聞社京都支局に入社。その後、文化部長、出版局次長を勤めたが、記者として在職中に執筆を開始。1956年、司馬遼太郎の名で応募した「ペルシャの幻術師」が講談倶楽部賞を受賞し出世作となった。1960年、『梟の城』で直木賞を受賞し歴史小説に新風を送る。翌年から本格的に作家生活に入り、『竜馬がゆく』、『燃えよ剣』、『国盗り物語』、『坂の上の雲』など数々の代表作を世に送り出す。戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。1981年、日本芸術院会員。1991年、文化功労者。1993年、 文化勲章受章。1996年死去(享年72)。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。

 作風等について: 歴史小説家として、主人公に対しては常に好意的であり、作者が持つ共感を読者と主人公の関係にまで延長し、ストーリーの中に読者を巻きこんでゆく手法をとる。歴史の大局的叙述とともに、登場人物を客観的に素描することで乾いたユーモアや余裕のある人間肯定の態度を見せることが特徴の一つである。反面、そのスタイルで話が脇道にそれることが多いので長編の構成力が弱いとの評もある。後年は小説から遠ざかり随想や批評を主としたが、抽象的な思索よりも具体的な歴史評論や文明批評を主にし、合理的思考を掲げて考証を行った。作品の多くはベストセラー、ロングセラーとなり、映像化もされた。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、西郷隆盛、福澤諭吉らは多くの作品に重複して登場しており、現代日本人が持つ彼等の「人物イメージ」は司馬小説に大きく影響を受けている。

 司馬の歴史観等について: 司馬作品の一般的人気と相まって、司馬が高い実証性を持った歴史小説の形式を確立したことを採り上げ、上質な娯楽として読むに足る物として高く評価する支持者は多く、司馬が新しい視点と斬新な描写で彼自身の歴史観を作って日本社会に広く影響を与えた国民的作家と言われるようなった。このいわゆる「司馬史観」はしばしば論争の対象となり、批判としては近代合理主義への偏重が一定の限界を与えていたという指摘が代表的である。また、中村政則・佐高信らから「戦争、植民地支配を美化・正当化している」とか、西部邁・小林よしのりらから「大東亜戦争を否定する自虐史観」「ポチ保守の史観」などと批判されている。 学究的な立場からは、司馬が実証性を謳っているにもかかわらず、小説の一部に創作した場面が存在すること、資料の誤読や資料批判の不徹底等による事実誤認などが指摘されている。フィクションを歴史の真実であるかのように読者が錯覚してしまうのは、それだけ司馬の作家としての手腕が優れていることの証明であるとも言えるが、批判派にとってはその錯覚させる手腕自体が問題であり、司馬本人への賛否にかかわらず神格化を行っている者を信者のように捉えて批判する。これらに対して反論を行なう者、擁護派は司馬の言葉から教訓を汲み取ろうとする傾向があり、司馬(ないし小説家)の社会的影響力については触れないか、受け手の問題であるとする場合が多い。

※出品ページに表示の「配送方法」はあくまで単品でご落札いただいた場合の方法と送料でございます。複数点をご落札いただいた場合は、最も経済的な方法で一括発送いたします。具体的には、ヤフオクに「まとめて取引」という仕組みがあり、ご落札者による「まとめて取引」の要請に応じて、出品者より一括送料をお知らせし、その上で一括決済いただくという流れになります。