その落ちで、チビ砥石やコメド(米型砥石)と40mm角のタイル砥石を取り切ったあとの最終的な落ち。
もしくは鍛え落ちでできた小さい切り口のないものもあり。
京都山城国で砥石が発見される遙か昔。
古代飛鳥より流通し、わが国の砥石産業の祖である伊予砥は、最も良く鉄を食み、更に硬くかつしなやかな鋼としての鉄を誕生させるための原動力となり、武士 の世を興し、彼らに命を賭す。と思わせるような刃物を生み出し、近代明治に至るまでその独自の製鉄技術を発展させるためには無くてはならないものの一つで あろうという事は、疑う余地もあるま いとおもいます。
奈良朝では、伊予を数えるにあたり、「顆」という単位が採用され、これは宝石を数える単位と全く同じでした。
当時はいかに、鉄をよく食み、打ち負かす事の出来る物が貴重視されていたということが伺えるものとして考えられます。
さゞれでもその力さゞれに非ず
まほうのさざれさんのつかいみち